昭和最大の未解決事件のひとつ、「グリコ・森永事件」を題材にした映画『罪の声』が10月30日から公開中だ。1984年3月から1年5カ月にわたり、「かい人21面相」を名乗るグループが食品企業を次々と脅し、事件史上、類を見ない「劇場型犯罪」に日本列島は震撼した。藤原健氏(スポーツニッポン新聞社常務取締役を勇退)は当時、毎日新聞大阪府警捜査一課担当キャップとして事件を取材した。
出典:「文藝春秋」2015年1月号
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「けいさつのあほどもえ……」
「現金10億円と金塊100キロを用意しろ」――江崎グリコに対する犯人グループの法外な要求は、やがて始まるバブル時代の幕開けを闇の世界から予告したようでした。挑戦状や脅迫状を執拗に送り続け、女性や子どもの声で現金授受の場所を指定するという手口は、それまでの犯罪常識を明らかに超えていました。
4月8日、犯人グループから毎日新聞とサンケイ新聞(当時)に初めての挑戦状が届きます。差出人は江崎勝久社長の名前。中身は「けいさつのあほどもえ……」とタイプ打ちした一枚の紙でした。専門家の鑑定の結果、犯人のものと判明し、翌日の朝刊一面で全文を掲載します。本来ならもう少し慎重に扱うべきだったのでしょうが、知っていたのに書かなかった時の責任の方が大きいとの判断があったのです。以降も、犯人グループは挑戦状や脅迫状を送り続け、その数は140通を超えました。
2人1組の捜査員が私を尾行している
私は発生当時、社会部の遊軍でしたが、前年まで捜査一課担当だったことから、先輩記者とともに“特命班”のような形でこの事件の専従となりました。独自にグリコの中枢や所轄の捜査員をしらみつぶしに当たっていたのです。
ある日、非常に質の良い情報を持つグリコ中枢と出会い、接触を重ねていました。そして、慎重な表現で内部のごく限られた人しか知らない話を紙面で書いた。その直後のことです。2人1組の捜査員が私を尾行していることが分かりました。うち1人は顔見知りだった。