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日本初の保険金殺人だったのか?

 ネットメディアなどは、この事件を日本初の保険金殺人事件としている。しかし、田村祐一郎「家族と保険」(「生命保険論集No.148」所収)には「本邦初の保険金殺人事件は、明治25年、東京・本郷においていとこ同士の間で発生した毒殺事件であろうか」とある。犯人はいとこを毒殺したのち、保険金1000円の詐取を図って失敗し、逮捕されたという。

 同論文は「昭和10年から12年は保険犯罪史上まれにみる時期であった」と述べる。集団放火事件、自殺強要事件、チフス菌殺人事件が連続して起きた。その後、戦時下で保険犯罪は途絶えるが、日大生殺しは「明治から大正を経て昭和戦前に至る保険犯罪史の最期を飾る事件であった」(同論文)。

 戦争が身近に感じられるようになって、家族が兵士として出征し、家の収入が激減するその保障に「徴兵保険」が広く普及した。その意味で不安な時代だったといえるのだろう。

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日中戦争をはじめ、戦争が多かった20世紀は「保険の世紀」でもあった ©文藝春秋

 保険はイギリスが発祥で、明治時代に日本に移入されたが、当時から巨額の保険金をつけた契約について毒殺や自殺の疑いから契約者が保険会社ともめる事件が続出したという。

 月足一清「生命保険犯罪 歴史・事件・対策」は、「保険がなければ1日も暮らせなくなった20世紀を『保険の世紀』と呼ぶ」と説明。逆に「『極めて少額の保険料で多額の保険金や給付金を約束する』保険の本質的な仕組みは、特に経済的困窮に陥った悪意の人々によって逆用され、故意に保険事故を引き起こされる可能性を内包している」と書いている。

 同書によれば、寛が貢に生命保険をかけていたうちの1社が「死因に不審を抱き、捜査本部に相談した。これが謀殺発覚のきっかけとなった」という。

 事件の弁護人だった太田金次郎は著書「法廷やぶにらみ」の中で「この事件は二・二六事件、阿部定事件とともに昭和の三大殺人事件として騒がれたものである」と書いている。

 弁護士の森長英三郎「日大生殺し事件」(「史談裁判第3集」所収)によれば、論考で野村検事は万葉集の山上憶良の「しろがねもくがねも玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも」を引用したという。

「親は子に対して慈愛を注ぐから、子は親に対して孝行をしなければならない。父母の恩は海よりも広く深い。父母ばかりではなく、父母の父母、祖先を尊ばねばならぬ、との儒教道徳から明治以来の封建的な家族制度がつくられた」

「家族制度は旧日本の体制の根幹であり、親の子に対する慈愛は家族制度の出発点であった。日本帝国主義の大陸進攻政策は、消耗品として兵隊、植民のための人間を必要とし、人口はいくらあっても足らなかった」

「そういう時に起こったのが日大生殺しであって、国民に衝撃を与えた」