天守壁面を守る塗料として申し分ない素材ですが、唯一にして最大の弱点は紫外線です。松本城天守の壁面も、紫外線に年中さらされているため1年もすれば傷みが生じ、長くても3~5年で耐久力が尽きてしまいます。松本城天守の漆が毎年欠かさず塗り替えられているのは、そのためなのです。
実は、黒漆塗りの天守は、織田信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)や豊臣秀吉が築いた大坂城(大阪府大阪市)をはじめ、豊臣の家臣の城にしか存在しませんでした。高価な素材である上にメンテナンスに手間と費用がかかるとなれば、定番化されなかったのも頷けるところでしょう。
優秀な下地とこまめなメンテナンス
毎年欠かさず塗り替えしている、と聞くと莫大な費用がかかっているように感じますが、長い目でみれば実はそれほどではありません。姫路城(兵庫県姫路市)の天守壁面の漆喰塗り直しが足かけ5年半の工期を要したことを考えれば、概ね察しがつくはず。
漆は漆喰塗籠(しっくいぬりごめ)のようにすべてを剥がして何層も塗り直す必要がなく、部分的な修復や重ね塗りが可能です。足場を組むなどの大掛かりな準備もいりません。工程も、いたってシンプル。壁面を水洗いして汚れとともに古くなった漆の成分を流し落とし、下見板に大きな問題がなければ、その上から新たに漆をひと塗りするだけです。
シンプルな工程を可能にしている理由のひとつが、下地として下見板に塗られた渋墨(しぶずみ。松煙と柿渋を混ぜ、漆用のすり鉢で練ったもの)の力。墨は菌を繁殖させない成分のため、防腐材となって天守の壁面を保護してくれる。木材への定着がよく、一度塗ればいつまでも効力を発揮し、過去に塗った墨を取り去る必要もありません。墨は古くから我が国で重宝されてきた、優秀な素材なのです。