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及川光博51歳に 「どれだけ明るく振る舞っても寂しげ」と言われた“ミッチー”が行き交う現実と虚構

10月24日は及川光博51歳の誕生日

2020/10/24
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音楽を続けるための戦略的な「王子」だったが……

 これらはすべて及川が自ら狙ってのことだった。「王子」というキャラクターも、リスペクトするミュージシャン・プリンスのイメージを土台に、テレビに出やすい状況をつくるため仕立てたものだ。後年のインタビューでは《目立たなければ3年で契約が切れてしまう。戦略的にデビューしましたし、大好きな音楽を続けるためにあらゆる工夫をしてきました》と明かしている(※2)。彼は学生時代よりバンド活動や俳優養成所通いを続ける一方で、小さなイベント会社で一介のアルバイトにもかかわらず数々の企画を発案し、正社員をしのぐほどの手腕を発揮していたという。それだけにセルフプロデュースはお手の物であった。

セミヌードも披露していた1stアルバム『理想論』

 ただ、こうして練り上げたイメージを、多くの人々は額面通りに受け取ってしまった。デビュー当初は、自分の意図するところがそのままの形では伝わっていないと気づくたび、及川は愕然としたという。こうした状況もやがて割り切って捉えるようになり、《ブラウン管の中や雑誌、いろいろなメディアの上で僕はイメージ化されているし、商品として扱われている。それは結局、第三者の目や感性を通したものでしかないということを、いまでは当然だと思って、ある意味で諦めています。でも、「諦める」の語源は「明らかに見極める」ということなので、悪いことではないと思う。むきになって摩耗することのほうがネガティブでしょう。それよりも、伝わる人には伝わると信じていたほうが、精神的に健康になれるんです》と冷静に分析もしていた(※3)。

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 それでもなお本人のなかでは釈然としない部分はあっただろう。テレビでもバラエティタレント的に扱われることが増え、悩んでいたところ、絶妙のタイミングでドラマの仕事が来る。こうして1998年にドラマ『WITH LOVE』に出演して以来、しだいに俳優としての仕事が増えていった。同年には脱「王子」宣言もしている。