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ドキュメント“超武闘派若頭”高山出所 いま明らかになる「山口組vs警察」暗闘の現場

2020/10/25

genre : ニュース, 社会

「高山はターゲットとして大きすぎる」

 当時警察が入手していた事前情報について、別の警察当局の捜査幹部が振り返る。

「高山出所の直前、山健組系組員2人が射殺される事件が発生していたが、神戸山口組が高山を狙った返し(報復)はないだろうと見ていた。高山を狙ってしまっては、神戸側としても、あまりにターゲットとして大きすぎる。数十ある6代目側の傘下組織全体が敵になってしまうからだ」

 こうした考えには、かつての山口組の内部対立による暴力団史上最悪とされる「山一抗争」の教訓があるという。

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 当時の山口組ではカリスマとされた3代目組長の田岡一雄が1981年7月に死去。その後の4代目をめぐり議論が続いたが、1984年6月に4代目組長に竹中正久が就任することが決定。しかし、竹中を組長と認めないとする一部グループが離脱。同年6月、山本広を会長とする一和会が結成され、対立状態となった。

 一和会は暗殺部隊を結成して、翌85年1月に竹中を射殺。その後、本格的な抗争状態となった。4代目組長というトップを殺害された反動は大きく、山口組による一和会への報復は激化し、双方の間で300件以上の事件が発生、25人が死亡し約70人が重軽傷を負った。情勢は山口組に優位に推移し、一和会の勢力は縮小。89年3月、一和会の山本が山口組本部を訪問し謝罪したことで山一抗争は終結した経緯がある。

山口組の竹中正久組長射殺事件で、一和会系事務所の家宅捜索をする大阪府警の捜査員(大阪市南区、1985年2月) ©️時事通信社

山口組分裂のキーマンは変わらない

 それでも警察としては警戒を怠ることはないと、さらに別の警察当局の幹部が強調する。

「出所したばかりの高山へ向けて拳銃を発砲したら、暴力団業界では歴史に名を残すことになる。ましてや殺害したとなったら、なおさらだ。神戸山口組として事件を起こすことはないとしても、それをよしとしない者がいないとも限らない。どこで何があるか分からない」

 高山の出所から1カ月余りの昨年11月、尼崎市で自動小銃を乱射するという凶悪な手口で神戸山口組系幹部が殺害される事件が発生した。この事件をきっかけとして年が明けた今年1月、山口組と神戸山口組の双方が暴力団対策法に基づき特定抗争指定暴力団に指定された。警察当局は双方の巨大組織に対してさらなる規制を強めることとなった。

 その後も銃撃事件は相次いだ。高山の出所で山口組傘下の各組織が動き出したのだ。警察当局は、山口組分裂のキーマンは高山との見方を変えていない。(敬称略)

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