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「神戸、尼崎、岡山…連続銃撃は高山出所へのアピールで若い衆が仕掛けた」暴力団幹部が証言するカリスマヤクザの存在感

2020/10/25

genre : ニュース, 社会

 山口組ナンバー2の若頭、高山清司が昨年10月に約5年4カ月の恐喝事件の刑期が満了し、東京の府中刑務所を出所してから1年が経過した。

 高山の出所後、山口組分裂抗争は激しさを増し、銃撃事件も相次いだ。キーマンの高山の周辺では一体何が起きていたのか。

府中刑務所を出所し、品川駅に到着した6代目山口組の高山清司若頭 ©️共同通信社

「自ら分裂の収束へ決着をつける」

「自分が不在の間に山口組が分裂となってしまい、親分の司に汚点を残してしまうことがないよう、出所したら自らの手で分裂の収束へ向けて決着をつけるのだという考えではないか」

 山口組の事情に詳しい指定暴力団幹部は、このように推測する。発言に出てくる司とは6代目山口組組長の司忍のことだ。

 司は1960年代に名古屋市に拠点を置く山口組弘田組(当時)に加入し、地元組織との抗争事件を経て中京地区に勢力を拡張。山口組が名古屋に拠点を築く際に大きく貢献したことで、弘田組の地盤を引き継ぎ、弘道会を結成することになる。その後もキャリアを重ね、2005年8月に6代目山口組組長に就任した。

6代目山口組の司忍組長 ©️時事通信社

 高山は弘田組時代から、その司と長年にわたり行動をともにしてきた。高山について、警察当局の幹部は次のように語る。

「武力だけでなく知力も兼ね備えた男だと認識している。武闘派であるとともに経済活動にも秀でた経済ヤクザでもある。中部国際空港の建設工事に関与し、多額の経済的利益を得ていた」

 暴力団関係者の多くは、「中部国際空港の工事で1000億円以上を手にしたと聞いている。当時は直参ではなかったが、『弘道会の高山』と言えば、業界では誰でも知っている存在だった」と強調する。

中部国際空港(写真はイメージ) ©️iStock.com

 高山は司の後任として2代目弘道会会長として山口組直参(直系組長)に昇格。そして、2005年8月、6代目山口組のナンバー2の若頭に就任し、山口組の組織運営にあたってきた。山口組内で名門と呼ばれる山健組と並んで、弘道会が2大派閥と呼ばれるようになったのも、高山の活動が大きいとされている。

 2015年8月に山口組が分裂したのも、警察当局の幹部の多くは「高山の社会不在が大きかったのは間違いない」と口を揃える。

 高山が恐喝容疑で京都府警に逮捕されたのは2010年11月。京都地裁で懲役6年の実刑判決が言い渡され、最高裁まで争っていたが、2014年5月に上告を取り下げ、同年6月に収監。府中刑務所で服役することになったのだ。