当時の岡村はとにかく東京が嫌いで、東京のテレビスタッフやファンに対しても不信感を持っていた。常に緊張を強いられ、負けられない戦いが続く中で、ラジオ番組はそんな彼らが唯一、愚痴や不満をぶちまけられる場所だった。
テレビで明るくはしゃぎ回る岡村が、ラジオではボソボソとした口調で悪態をつき、本音を漏らした。それが多くのリスナーを魅了して『ナインティナインのオールナイトニッポン』はその後も長く続く人気番組となった。
無期限休養と不適切発言問題の余波
真面目さを武器にして、目の前の課題をひとつひとつクリアしながら岡村は成長してきた。だが、ある時期からその真面目さが岡村自身を苦しめるようになった。レギュラー番組に加えて、映画の仕事や自分で企画した一人舞台の準備のために心身の疲労がピークに達してしまい、2010年に岡村は体調不良により無期限休養に入った。『めちゃイケ』『ぐるナイ』を含む全レギュラー番組を休業する異例の事態だった。
その後、岡村は約5カ月の休養を経て復活した。これを機に彼は変わった。過剰な真面目さが自分を追い詰めていたことに気付き、無理をしなくなったのだ。だが、これがもう1つの危機の始まりだった。
復帰後の岡村の異変が明るみに出たのが、今年の4月23日深夜に放送された『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』での舌禍事件だった。岡村の配慮に欠けた不適切な発言が大問題に発展し、所属事務所である吉本興業は本人の名前で謝罪文を発表した。
矢部浩之の「公開説教」で語られたこと
翌週の4月30日深夜の放送回では、相方の矢部が飛び入りで参加して、岡村に対して「公開説教」を行った。以前からコンビの関係が良くなかったことが明かされ、次々に核心を突くような厳しい言葉がぶつけられた。今回の問題発言については、彼を放置して甘やかしてきたスタッフやリスナーにも責任があると述べた。
実は、矢部は岡村が休養から復帰した頃からずっと、彼に対して不安と不満を抱えていたのだという。岡村はもともと内弁慶なところがあり、身近なスタッフなどには気を使わせるようなタイプの人間だった。復帰後は、スタッフも今まで以上に岡村の精神的な状態に気を配るようになった。さらに、ナイナイも芸歴や年齢を重ねたことで立場が上がり、彼らに物申すことができる人もどんどんいなくなっていった。
問題発言の背景にはそういう事情があるということを、矢部は公共の電波を使ってはっきりと述べた。