最初の授業で講師から「何かアピールしたい人は手を挙げて」と言われたとき、数多くの生徒の中からたまたま矢部が指名された。岡村は矢部よりも先に立ち上がり「えー、岡村隆史です」と自己紹介を始めた。すかさず矢部が「お前ちゃうねん!」とツッコミをいれた。事前にこのやり取りを準備していたわけではないのだが、体が勝手に反応して動いていた。
NSCの講師を務めていた漫才作家の本多正識は、生徒である岡村の姿をひと目見て「この子は売れる!」と確信したという。岡村の見た目や動きの滑稽さと、一瞬たりとも気を抜かない笑いへの貪欲さは、そのときからすでにあったものだった。
『めちゃイケ』まで一気に駆け上がった
無名時代のナインティナインが若手芸人の登竜門と言われる『ABCお笑い新人グランプリ』に挑戦したときには、審査員の好みに合わせてネタを作り込み、ほかの出場者との差別化のためにあえてスーツを着て漫才を演じた。この作戦が功を奏して、ナインティナインは優勝候補と言われた雨上がり決死隊やFUJIWARAといった先輩芸人をごぼう抜きにして優勝を果たした。
ナインティナインがお笑いダンスユニット「吉本印天然素材」に加入した当時は、メンバーの中でも人気や知名度がなかった。そこで岡村は、自分が目立つためにコンビでネタをやるときには動きの少ないネタを演じた。ほかのメンバーが動きの多いネタをやっていたため、あえてその逆を選んだのだ。
徐々にナインティナインの人気は上がっていき、彼らはいち早く吉本印天然素材を脱退して、テレビスターへの道を歩み始めた。若手芸人の発掘を目的とした深夜番組『新しい波』への出演を皮切りに、深夜番組の『とぶくすり』や『めちゃ×2モテたいッ!』を経て、伝説のお笑い番組『めちゃ×2イケてるッ!』の中心メンバーとなった。
テレビとは対象的な『オールナイトニッポン』
あれよあれよという間にレギュラー番組が次々に決まり、東京での仕事が増え続け、次世代のスター候補として注目されるようになった。すぐ上の世代の芸人とも比較されて「ポストダウンタウン」などとはやし立てられた。
そんな中で2人は、寝る間もないほどの過酷な生活を送り、慣れない東京暮らしで極度のストレスを抱えていた。そんな怒涛の日々の中で始まったのが『ナインティナインのオールナイトニッポン』だった。