厳しくても、心のこもった優しいコトバをかけてくださった
天才とは、単に“一芸に秀でただけの変人”を指すのではない。全人格的に人をして惹きつける内面を必ず有するものだということはよくいわれてきたけれど、筒美京平とは、まさしくその、誰に対しても変わることのない、人間としての優しさこそを、音楽というものに託し多くの人々を幸せにしてみせた、真の天才だったのだと、私はあらためてそう思うものである。
私はただ一度だけ京平さんに呼び出され、怒られたことがあった。音楽/仕事のことではない。私生活のだらしなさを指摘されたのだ。実際、当時、私は人として不誠実な生き方をしていた。
京平さんは、そんな私を本当にイヤだったのだと思う。だが、その時も、厳しくはあっても、心のこもった優しいコトバをかけてくださった。このときほど京平さんの愛を感じたことはない。
音楽家筒美京平の特色を、今あらためて語るとして、何かひとつ作品を例に挙げて考えるとするならば、小沢健二の『強い気持ち・強い愛』だろうか。
小沢健二のそれまでの自作曲というと、その存在や人格との一体化で魅力を成立させているようなところがあった。それがここでは、筒美京平はそうした過去に全く囚われることなく、純粋に楽器としての小沢健二のノドにのみフォーカスを絞り、その美味しさを抽出してみせているのである。
“生き様”などはどうでもいいことで、重要なのは“声”だけ
“カリスマ小沢健二”ではなく“一ボーカリスト”としての小沢健二の声が持つ、それまで味わった事のない色気をこのシングルで初めて教えられたとき、私は筒美京平の職業音楽家としての哲学/矜持とは何なのか。その片鱗を垣間見た思いがした。
筒美京平にとっては、その歌い手(あえて申せばクライアントだ)が何者かだの、それこそ“生き様”などはどうでもいいことで、重要なのは、ただただ“声”だけだった。
そう捉えてみると、たしかに京平さんの書く曲には共通する質感――湯浅学はいみじくも“かろみ”と評したが――のあることにも合点がいく。
それは、今述べたような、歌い手との距離の取り方の、揺るぎなき一定感、すなわちーー誰に対しても――その内側や背景と結びつくことと無縁である作曲姿勢から来るものに違いない。『強い気持ち・強い愛』を聴きながら、私はそう確信したのである。
ややもすると、そこに作品より人を求めがちな我が国大衆音楽シーンにおいて、そうした、生臭さの一切ないスタンスを貫き通しながらも支持され続けてきた作風/仕事ぶりにこそ、筒美京平の存在意義はあったのではないか。
この曲が出たしばらく後に、京平さんとお会いすることがあって、そんな話のしがてら、しかし、「あのサウンド、サルソウル(アメリカの著名なディスコのレーベル)っすよね」という話になると、「そう! あのあたりはホント、僕と一緒よ、作り方が」と仰せられ、そこから色々と作曲談義に花が咲いた。筒美京平の口からサルソウル! 今となっては貴重な体験である。
最後に、私ごとで恐縮だが、2年前久しぶりにアルバムを作ることになり、是非とも京平さんに一曲書いていただきたく、ご連絡差し上げたところ、体調が今ひとつなので、というお返事をいただき、実現は叶わなかった。これが私の最後の京平さんとの思い出である。