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2020/10/30

相次ぐ故障と強化に必要だったもの

 原因は晴れ舞台であるオリンピックの決勝で脇腹を痛めたこと。それが負の連鎖の始まりだった。

ロンドン・オリンピックでは決勝へ進出したものの10位に終わる ©JMPA

「オリンピックで右脇腹を痛め、かばいながら競技を続けていましたが、完治するまで2年ほどかかりました。次は、2014年の5月に右肩を痛めて、この時は電車でつり革も持てない状態でした。練習を再開してからは、左の腰ですね。ケガをしてしまうと、要は“努力”ができない状態になってしまうわけです。それが苦しくて」

 いちばんつらかったのは、2016年だったという。

「体の状態はかなり良くなっていたのに、結果が出せなくて。リオデジャネイロ・オリンピックの代表になれませんでした。これだけ良くても、なぜダメなのか。結果が出なかったのは苦しかったですね」

 2017年は所属するミズノの理解を得て、休養を取る。

 身体のメンテナンスを優先させたのだ。競技から離れたことも影響したのか2018年、2019年と雌伏の時が続いたが、その間にケガから得た学びを成長へとつなげていた。

「やり投げでは、重い者が速く動ければいちばん強いんです。パワーとスピードの掛け合わせですね。僕の場合、ケガをしているうちに助走のスピードが出なくなっていました。思い切り走るには、身体の不安な部分を減らすしかないわけですが、ようやく身体の状態が良くなって、スピードが回復してきたんです。いまは体重が100kgで、大学時代から比べると11kgも重くなりました。体重が増えればケガのリスクも増えますが、動きながらも治す方法はいろいろ身につけました」

学生時代と比べて11㎏ものフィジカルアップ ©文藝春秋

 身体が回復するにつれ、ディーンはしっかりとしたトレーニングが行えれば、次の東京オリンピックで再び世界で勝負できるという実感が湧いてきていた。

 しかし、足りないものがあった。

 お金である。

 ディーンは、2012年のロンドン大会を前に、日本陸連のジュニア枠の強化費を使って投てきの本場、フィンランドで1カ月半の合宿を行い、自己ベストを大幅に更新し、オリンピック出場へとつなげていた。

 しかし、このところ実績のなかったディーンには強化費がつかない。