ディーン元気。
陸上ファンはともかく、彼の名前を記憶している人は、どれくらいいるだろうか?
2012年のロンドン・オリンピックで、やり投げの代表として決勝に進出。
決勝では79m95cmで10位に入っている。当時はまだ早稲田大学の3年生の20歳。その端正なルックスに加えて、投てき種目の選手としては若手も若手ということもあって将来が嘱望されていた。
ところが――。
そこからディーン元気の名前を聞かなくなった。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの代表も逃してしまう。
そうなると、どうしても流通する情報は少なくなる。
8年ぶりのセカンドベストと日本選手権での優勝争い
しかし、28歳になったディーンが今年ようやく復活を遂げた。
8月23日に新国立競技場で行われたセイコーゴールデングランプリでは、84m05cmという早大3年時に出した84m28cmに次ぐセカンドベストで優勝。この記録が出た時には、ユニフォームを引きちぎって喜びを表した。
そして10月1日に行われた日本選手権で80m07cmを投げ、2位に入り、久しぶりに表彰台に上がった。
復活を遂げてディーンはオンライン取材でこう話した。
「自己ベストは2012年の記録なので、ここまで来るのに実質8年かかりました。もどかしい時期が長くて、8月に84m台を投げた時の喜びは大きかったですね。ケガをしていた期間が長かったですが、それでも自分の身体の変化、そして進化もあり、今回の投てきで“脳”が感覚を覚えたなという手ごたえがあります。今後は安定して83mから85mを投げられるようになれば、(オリンピックでのメダルラインである)88mも実現すると思っています」
イギリス人の父と、日本人の母の間に生まれたディーンは、ジュニア時代からそのポテンシャルが注目され、ロンドン・オリンピックまでは順調に成長していたはずだった。なぜ、彼は回り道を余儀なくされたのだろうか。