鳥集 「有意差」というのは、「二つ以上のデータを比べたときに、偶然とは言えない確率で差があると言える」という統計学上の概念です。医学研究では、たとえばAとBという薬を動物実験や臨床試験で試して、「Aのほうが、効果が優れていた」と言うためには、有意差が出なくてはなりません。こうした統計学的な考え方は大切ですが、一方で博士号を取るには有意差が出るような研究が必要だとなると、確実に結果が出そうな研究ばかりをすることになりそうですね。
さっさと海外へ留学したほうがいい
和田 そう、大胆な仮説なんか出るわけがない。世界的に権威のある医学専門誌である「ネイチャー」や「ランセット」に載る論文は、後で「間違いだった」と否定されることも多いんですが、そのかわり大胆な仮説が提示されて、多くの人を惹きつけます。そうした画期的な研究というのは、既存の考え方を壊さないと出てきません。
たとえば、ノーベル賞をとった京都大学の山中伸弥教授の何がすごいかというと、それまで万能細胞をつくるには、受精卵をクローン化するしかないと思われていた。しかし、人間に育つ可能性のある受精卵を実験や治療に使うのは、倫理的な問題がある。そこで山中さんは、受精卵からスタートするという考えを捨てて、ヒトの組織の細胞を初期化すればいいと思いついた。もしそれを実現できなかったとしても、思いつくだけですごいんです。
鳥集 灘、開成、筑駒といったエリート高校で東大理Ⅲをめざす人は、そういう発想を持ち続けて、大学に入ってほしいですね。
和田 だけど、東大医学部の中で出世を目指している限り、それはとても難しいんです。なぜなら、医学部教授に一度なったら、その医局に10年も20年も居座ることになるから。もし教授がプロデューサーとしてダメな人だったら、画期的な発想が生まれるはずがない。
東大医学部にしがみつくよりも、さっさと海外へ留学したほうがいい。海外に行くと、ものの考え方が変わります。そもそも、東大理Ⅲに入る学力があったら、世界中のどのメディカルスクールに行っても、優等生になれます。東大理Ⅲは、入るのは世界で一番難しいと思います。ただし、医学部が優秀かどうかは別の話ですが。
東大は5年に1度、教授を総とっかえせよ!
鳥集 実は最近、たまたまロボット手術を取材しました。私が医療ライターになった20年ほど前は、前立腺がんの腹腔鏡手術で大きな事故があって、開腹で手術しないと危ないという議論があったんです。ところが今、前立腺がん手術は腹腔鏡どころか、全体の8割はロボットで行われている。たった20年で、医学はこんなにも変わるんだと感心しました。
実は、腹腔鏡手術もロボット手術も、慶應医学部がとても早く導入したんです。ところが東大や国立がん研究センターは、何周も遅れました。慣れない人が腹腔鏡に手を出すと事故が起こるという議論ばかりしていた。本来は東大医学部や国がんのような組織が腹腔鏡手術やロボット手術の臨床応用をリードしてもよかったんですが、それができなかった。
和田 それは、誰かが教授になると、その人が引退するまで新しいことが入ってこないからなんです。例外的に東大の大腸・肛門外科の渡辺聡明教授は腹腔鏡がとてもうまくて、帝京大学の教授として活躍していたところ、母校に呼び戻された。ところが残念なことに、教授在任中に亡くなってしまった。いずれにせよ、東大は5年に1度、教授を総とっかえして、そのときに一番フロンティアな人が教授になれるシステムにすればいいんです。