アヘンを密売する主人公の胸の内とは
この作品では主人公がその「売る側」に立って物語が進んでいきます。実は作中ではあえて描かないでいる部分というのがあるんです。
それが主人公の「罪悪感」の部分です。なぜなら、当時の状況を考えると、売る方は売る方で必死なんです。「罪」や「善悪」を考えている余裕なんてない。薬物を作る側も売る側も、「やらなきゃ死んじまうんだよ」という中でやっている。そういうのはなかなか罪深いサイクルだなと思います。
満州では現代以上にそういう状況は色濃かったでしょうから、罪悪感なんてあれば、主人公は少なくとも当時の満州では生きていくことはできなかったんだろうな……と思います。死線を潜り抜けて、その道で育たざるを得ない。もともとはひ弱な少年でしたけど、ずっとそういう環境にいれば人は慣れてくる。それは望む、望まないに関わらず強くなっていってしまうんだろうな、という感じです。でも、これは現在にも通じる部分があるように思います。
薬物使用の感覚を想像するときに、僕の中では「これに似ているのかな」という感覚があるんです。
それが、ゲームをしたときに“チート”を使っちゃうことなのかなと。アクションゲームとかで、チートモードってあるんですよ。裏技的にプレイヤーがめちゃくちゃ有利な設定で遊べるようにできる。でも、それを1回やってしまうと、普通にプレーするのが退屈になってしまうんです。普通では満足できなくなって、チートを使わないとつまらないなとなってしまう。薬物使用ってそれに似ている感じがしていて。
文献や資料でアヘン依存症の話とかを調べてみると、気持ちよくなりたくてやるわけじゃない。「やっていないのが辛すぎて」やる。我々が普通に過ごしていたら得られない脳内快楽を得ているわけで、それを1回知ってしまったら他のことが全部つまらなくなるんだろうなと。