2020年、新型コロナ禍で日本の観光産業の問題が浮き彫りとなった。観光客が消えた京都で明らかになった、意外な事実とは。『観光は滅びない 99.9%減からの復活が京都からはじまる』から一部を抜粋し転載する。【全2回の2回目/#1から読む】

※写真はイメージ ©️iStock.com

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「観光客のせい」ばかりではなかった?

 先日、京都人の友人と食事をしていた時のことである。すっかり観光客のいなくなった最近の京都の様子について話をしていたのだが、友人がこんなことを言った。

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「でも抹茶スイーツのお店に行列ができてたんですよ……!」

「え、まじですか!」僕も思わず驚く。そうか、あれ、観光客じゃなくても食べるんだ……。自分の目からうろこを剥がしながら、ああ、そういえば、と思い出したのが地元紙・京都新聞の読者投稿欄で見かけた投書である。

 あらためて確認してみると6月30日の記事であった。「散乱ごみ 外国客消えても」と題されたその投書は「街から外国人観光客がいなくなったのに街に散乱するごみがなくなっていない。ずいぶん彼らのせいだと言われていたのに」という旨の気づきを綴ったものであった。京都にはびこる抹茶スイーツもごみのポイ捨ても、「観光客のせい」だけではなかったのだ。

観光は滅びない 99.9%減からの復活が京都からはじまる

 風刺文学の記念碑的名著アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』。幸運なことに観光(TOURISM)という項目は見つけ出せなかったのだが、残念ながら旅券(PASSPORT)という項目はこのように記されていた。

 PASSPORT【旅券】名——外国へ行く市民が騙されて持たされる書類で、彼がよそ者であり、特別に差別し暴行を加えるべき人間だと指摘する。

 ビアス自身も旅の途上のトラブルで亡くなったと伝えられていることを思うと実に皮肉だが、受け入れる地域社会にとって旅人という存在がどのようなものか、その本音を辛辣に描出した言葉といえるかもしれない。今回のコロナ禍でも「県外ナンバー狩り」などが問題となったが、なるほど、京都に暮らす僕らもずいぶんいろんなことを「観光客のせい」にしてきたのかもしれないと反省した次第である。

花見小路に設置された高札も、ソフトな内容に(筆者撮影)

 これまでは迷惑に思うことがあったとしても、一度現実に観光客の消えた街を目撃した地域社会のまなざしの変化は大きい。「舞妓パパラッチ」など観光客の迷惑行為に悩まされ、「私道の撮影禁止」とともに罰金の警告を掲示していた祇園の花見小路界隈に立てられるマナー啓発の高札も、罰金警告などはない幾分ソフトな「祇園のお約束事」へと内容があらためられることになった。

 早くも各地の観光関係者から、コロナ禍を契機に地元住民との関係性に歩み寄りが見られるようになったとの声が上がっている。「観光のせい」にしていた気づきと、「観光のおかげ」への気づきである。

「東京差別」や「県外ナンバー狩り」などコロナ禍をきっかけに様々な外集団との分断が際立ったが、一方で地域社会全体の危機に際して、各地域の観光産業があらためてコミュニティの一員として再認識されるようになったという側面もあるようだ。