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“太く、短く”生きた西武・高橋朋己。いつも“子ども”のように振る舞った理由

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/11/02

 トミージョン手術から4年――。

 多くの者に待ち望まれた復活を果たすことなく、西武の左腕投手、高橋朋己が今季限りでユニフォームを脱ぐことに決めた。メスを入れた左肘だけでなく、左肩も痛め、長いリハビリの日々がどれほど大変だったかは想像することさえできない。

 靭帯再建術から半年ほど経過した2017年春季キャンプ前。今も忘れられない言葉がある。手術を受けて「気持ち的にすっきりした」という高橋は、明るい表情でこう話した。

「自分のモットーは今でも『太く、短く』で、それは変わっていません。(活躍した期間が)単に短すぎたので、もっと粘りたいなという気持ちはあります。先を見てやるというより、もう1回一軍のマウンドに立って、自分のポジションを確立したい気持ちはありますね。どのみちたぶん、またどこかしらケガするので。五体満足では野球をできないから」

埼玉西武ライオンズ提供

号泣し、抑えの重責を明かした夜

 高橋の野球人生は故障がつきまとい、刹那的だった。2012年ドラフト4位で入団し、8年間の現役生活で輝いたのはルーキーイヤー途中からの3年のみ。そのわずかな期間に眩い光を放った。

「ストライクゾーンを何分割で投げている? 的は一つです」

 岐阜聖徳学園大学、西濃運輸を経てプロ入りした左腕は1年目にそう言うほど荒削りだったが、一気にプロのトップレベルまで駆け上がる武器があった。唯一無二の投球フォームだ。サイドスローに近い変則的なスリークオーターは打者にとって球の出どころが見づらく、140km/h台中盤から後半の速球でねじ伏せていく。当時の女房役、炭谷銀仁朗(現巨人)は、「高めに浮いてもいいくらいの腕の振り。バッターは前に飛ばすのがきつい」と話していた。

 2014年からはストライクゾーンの的を内と外の二つに増やし、スライダーとフォークにも磨きをかけ、シーズン途中からクローザーに抜擢される。オフには日米野球の日本代表に選ばれ、日の丸をつけてメジャーリーガーに真っ向勝負を挑んだ。

 変速左腕、豪速球、いつも冗談が口を衝く明るいキャラクター。どこをとってもファンに愛される要素にあふれ、観る者を魅了した。

 2015年は開幕から圧巻の投球で、6月14日までの29試合登板時点で防御率0.93。9回にソロ本塁打を浴びて防御率が1点台に落ちた6月24日のソフトバンク戦後、高橋は自身が目指すところをこう語っている。

「もっと“絶対打たれない”オーラを出したいですね。サファテ(ソフトバンク)とか藤川球児(阪神)さんのように、『出てきたら終わり』だっていう。相手に『打てるだろう』と思われるのが、無性にムカつくので」

埼玉西武ライオンズ提供

 だが、直後に待ち受けていたのは、プロの厳しさだった。7月に入ると8試合のうち6試合で失点を重ね、月間防御率は12点台。7月25日の日本ハム戦ではセーブシチュエーションの9回に3失点して逆転負けし、試合後にはロッカールームで号泣した。周囲にチーム関係者が誰もいなくなった頃、目を真っ赤にした高橋はようやく出てきた。100段以上の長い階段を昇ってクラブハウスへ引き上げる途中、歩けなくなってしゃがみ込むほどショックに打ちのめされていた。

「真っすぐが通用しないことを考えないといけない」

 そう声を振り絞った高橋に、数名の記者が気を遣いながら質問した。夏場に入り、疲れが出てきたのだろうか。筆者がそう訊くと、高橋は語気を強めた。

「筋肉の張りは取れなくなっています。でも抑えになって2年目で、そんなことを言ったら……。宮西(尚生)さん(日本ハム)、山口(鉄也)さん(元巨人)のように何年も50試合投げているピッチャーがいるのに、僕が疲れとか言ったら、その人たちに失礼です」

 西武の守護神は偉大な先輩の名を出してそう話すと、一呼吸入れ、本心を吐露し始めた。

「あれだけ投げるのを楽しいと言っていたのに、今は投げるのが怖い。不安でしょうがない。これを言ったらこのポジションで一番ダメですけど、こうも(失敗が)続くと……。球は悪くないんだけどな」

 抑えを務める重責は、これほどのものなのか――。

 そう思い知らされた筆者は、続く言葉をかけることができなかった。