新型コロナウイルスの危機はグローバル資本主義のあり方に急激なブレーキをかけ、疑問符を投げかけた。今後、アンチグローバリズムの流れで地域主義が加速すると分析する思想家の内田樹が、新著『コモンの再生』にこめた日本再建のビジョンを語る。(全2回の2回目。前編はこちら

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――そもそも〈コモン〉とはなんでしょうか?

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内田 「コモン(common)」というのは、「共有地」のことです。ヨーロッパの村落共同体には、みんなが、いつでも使える共有地がありました。そこで家畜を放牧したり、魚を釣ったり、果実を摘んだり、キノコを採ったりした。しかし、コモンは生産性が低かった。土地を共有していると、誰も真剣にその土地から最大限の利益を上げようと考えないからです。

 それならむしろ共有地を廃して、私有地に分割した方がいい。そういう考えで、コモンが廃され、私有地化したのが「囲い込み(enclosure)」です。その結果、それまでコモンを共同所有してきた村落共同体が空洞化し、私有地は大資本家によって買い上げられ、自営農たちは小作農に転落し、あるいは流民化して、都市プロレタリアートになった。

 たしかにコモンの消滅によって、土地の生産性は一気に向上しました。「農業革命」が行われ、無産化した農民たちの労働力で「産業革命」が実現した。資本主義的にはコモンの消滅は「たいへんよいこと」だったわけです。でも、それは中世から続いて来た村落共同体の消滅という代償によって果たされた。コモンの消滅とともに、村落共同体がもっていた相互扶助の仕組みが失われ、伝統的な生活文化や、祭祀儀礼が消え去った。この惨状を見て、再び「コモンの再生」をめざしたのがマルクスの「コミューン主義」です。

 

――その思想的背景について、もう少し詳しく教えてください。

内田 マルクスは人間の中には、おのれ一身の幸福、私利の追求だけをめざす「私人」の部分と、公共の利益のために、全員の幸福のためにふるまう非利己的な「公民」の部分と2つが併存していると考えていました。そして、できるだけ「公民」的にふるまう部分を増やすことがこの世の中を住みやすくする方法だと考えていた。マルクスって、すごく常識的な人なんです。

 市民革命によって近代市民社会が成立しました。そして、誰もが強権を持つ支配者に怯えることなく、幸福と豊かさを追求することができるようになった。でも、そういう近代市民社会を実現するために戦った市民たちは、おのれ一身の身の安全や豊かさを後回しにして、自己犠牲的・英雄的にふるまった。そういう非利己的な人々がいたおかげで、市民たちが利己的にふるまうことのできる社会が実現した。

『コモンの再生』(内田樹 著)

 公共の福祉を配慮する人たちがまず存在しており、その人たちの努力の成果として、公共の福祉なんか配慮しないで暮らせる社会が実現した。というのがマルクスの考えです。おのれの私利私欲よりも公共の福祉の方を優先的に配慮できるような人間のことをマルクスは「類的存在」と呼びました。そういう人たちが一定数いるような社会を作りましょうというのがマルクスの主張なんです。まともな話でしょ?