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凱風館の土地、建物もコモンにするつもり

 共同管理するというのは、心理的に言うと、全員「自分は持ち出しばかりで、自分ひとりが割を食ってる」と思うということです。「みんなは公共のために貢献していて、えらいなあ。オレはその恩恵をこうむるばかりで、何もしてないなあ」と思うような人間はいません。「オレはいつもトイレ掃除しているのに、ヤマダはぜんぜんやらないから不公平だ。あいつにもやらせよう」とか言い出して、共同管理においてタスクの厳密な分配のために時間と労力を使うのはナンセンスなんです。「持ち出し歓迎」で、身銭を切って公共を立ち上げようと思う人がいるところにしかコモンは立ち上がりません。

 コモンは土地や家屋に限りません。何でもいいんです。自分の会得した技術や知識や芸能を伝えるとか、才能あるアーティストのパトロンになるとか。

――コモンの形というのは技芸の継承も含めたもっと多様なものとして捉えていいわけですね。

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内田 そうです。コモンは同時代の人たちとあるリソースを共同管理するというだけのものではありません。先人から受け継いだものを後続世代に伝えていくという時間軸上でも存在する。キルトの編み方とか、田植えの仕方とか、地元に伝わる儀礼とか芸能とか、それを次世代に伝えることって、私的な活動に見えますけれど、それが実はコモンの統合を深いところで支えている。だから、目先の利便性だけをめざして共同体を作っても、長くは持ちません。長い時間軸を貫くようなミッションがないとダメなんです。

 僕の主宰する凱風館は第一義的には合気道の道場です。僕はそこで僕が師匠から学んだ技術と武道の考え方を教えている。門人たちは僕から学んだものを次の世代に伝える。そういう世代を超えた受け渡しが成り立つためには、凱風館は私的なものであってはならない。 

 凱風館の立っているこの土地はいまは僕の私有地ですが、いずれ財団法人化して、土地も建物も全部、コモンにするつもりです。いまは僕が1人で使い方を決めることができますけれど、財団法人になって共同管理することになると、そうはゆかない。なかなか合意形成はむずかしいと思います。

 だから、僕が死んだあと、残った門人たちはそれでけっこう苦労することになると思います。でも、それは仕方ない。それに、その苦労だってある意味では僕から彼らへの「贈り物」なんです。こんな狭い土地であっても、それがコモンである限り、管理するためには大人の知恵を要します。その面倒な仕事を通じて、門人たちが市民的成熟を遂げてゆくこと。それが凱風館の教育的な機能なんですから。

コモンの再生

内田 樹

文藝春秋

2020年11月7日 発売

内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『街場の天皇論』『サル化する世界』『日本習合論』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。