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「僕が死んだあと、私有地も道場も“面倒な”コモンにする」 内田樹が門徒に苦労させるワケ

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「コモンの再生」が日本を救う その2

2020/11/08

source : ライフスタイル出版

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済

note

個人が身銭を切って公共を立ち上げるしかない

――そんななかで再びコモンの場を立ち上げていくにはどうしたらよいのでしょうか。

内田 国や自治体にはもう「公共の再構築」というマインドはありません。彼らが「国を愛せ」とか「公的権威に敬意を示せ」とうるさく言うのは、別にコモンを再構築したいからではなく、公権力を用いて、彼ら自身の政治的な私念を実現し、公的資産を私的に流用するためです。

 本来コモンというのは、平等な成員たちの間での合意形成の訓練と、相互支援体制の確立のためにあるものです。トップが「黙ってオレの言うことを聞け」と言って、それが通るようなシステムはどんなに規模が大きくてもコモンではありません。権力者の「私物」です。そこでは相互扶助的なマインドも生まれないし、成員たちの市民的成熟も果たせない。

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 コモンの再構築のためには、近代市民社会が始まった時と同じように、まずは個人が身銭を切って公共を立ち上げるしかない。私的利害の追求よりも、公共の福祉を配慮する方が優先するという「大人の知恵」を持つ人たちが一定の頭数登場するしかない。それは市民革命の時と同じです。みんなが気分よく自由を満喫し、自分のしたいことができる社会を作るためには、自己犠牲的で非利己的な人々がまずどこかで「雪かき」仕事をしなければならない。

 

 だから、コモンの再生は別に市民全員が引き受けるべきタスクではないのです。全員が「類的存在」である必要はない。それはあくまで自己陶冶の目標であって、全員が「大人」でなければ回らない社会というのは、制度設計が間違っている。そんなの無理だからです。せめて共同体成員の7%くらいが「公民」的であり「大人」であれば、なんとかコモンを立ち上げて、回すことはできると僕は思っています。

 まずは自分の家の門扉を開放し、自分の財産を公共的なしかたで運用する、自分の私物をできるだけ周りの人にシェアする。そういう人が2~3人いれば、100人規模の「ご近所共同体」は形成される。それくらいのことなら自分にだってできるという人が、今の日本にだって100万人、200万人くらいはいると思うんです。いくらお金を溜め込んだって、墓には持っていけないんだから。生きてるうちにコモンのために使えばいい。

 前に、「シェアハウスをしているんですけれど、高齢者たちは自分たちのサービスを享受するだけで、若い私たちは持ち出しばかりで、割を食っている感じがする」という苦情を聞いたことがあります。私財を持ち寄って共同管理する時に、「自分が出した分だけ回収する」というルールでやっていたら、そんなシェアハウスはたちまち空中分解すると思います。そんなものは「コモン」とは言いません。