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“灘史上最高の秀才”“オウム幹部”…2年間だけあった東大理三&京大医学部W合格「神童」たちの行方

2020/11/13
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 すこし補足しよう。「岡田康志君」とは、灘史上、最高の秀才と言われている。駿台予備学校の東大実戦模試を中学3年で受けて、理三合格のA判定をとる。同模試は高校1年で2位となり、2、3年で1位をとっている。当時、灘高校の教師がメディアでこう語っている。

「教員生活40年になりますが、彼のような生徒に出会ったのは初めて。灘高でも10年に1人の逸材です。ただ、彼にとって気の毒なのは、高2では実際の受験ができなかったことでこの1年間は足踏みの年になってしまった」(「週刊サンケイ」1986年11月20日号)

 現在は、東京大大学院医学系研究科教授をつとめており、細胞生物学・解剖学講座で細胞生物学の研究に取り組んでいる。

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「灘史上、最高の秀才」と呼ばれた岡田氏は現在、東京大の教授をつとめている ©iStock.com

「オウム真理教幹部」とは、I・K、T・Mのことである。I・Kは大学を休学し1990年にオウム真理教に入信し、麻原彰晃の三女(アーチャリー)の家庭教師をつとめている。地下鉄サリン事件に関わったことは確認できず、起訴されなかった。のちに九州大医学部に合格するが、偽名での受験から、合格取り消しとなった。T・Mは爆発物取締罰則違反および殺人未遂などで、東京地裁で懲役18年の判決を受けた(のちに東京高裁で懲役15年に減刑)。

「神童」集団の“等身大の姿”

 話を戻す。

 理三と京都大医学部のダブル合格は「頭が良い」では言い表せないほどのレベルで、「神童」「天才」「秀才」と呼んでもいい。こうした集団を生み出した灘校について、上さんはこう続ける。

「東京大向けの特別な受験指導を行っていない。もちろん、東京大へ行きなさい、といった助言もない。生徒に任せている。当時の野球強豪校PL学園みたいなもので、京阪神の優秀な生徒が灘に集まってきた。みんな受験勉強のノウハウをしっかり身につけており、どんな試験問題でも解けたからです。駿台予備学校の東大模試の上位10人のうち8~9人は、灘校の校内テストの順位とほぼ同じでした。放課後、いまのように鉄緑会のような塾に通うものはほとんどおらず、わたしも学校の勉強、自宅での自習で大学に入れました」

 医師、医学研究者になろうという志を持った生徒が多かったということだろうか。