2020年のシーズンが終わりました。新型コロナウイルスの感染拡大で開幕が遅れ、無観客での開幕、そして制限人数での有観客開催と、まったく想像もつかなかったシーズンとなりました。

 コロナ禍で野球どころでなかったファンの方もいらっしゃると思いますが、東京ヤクルトスワローズへご声燕いただき、スタッフ一同、御礼申しあげます。

コロナで遅れて行われた新人研修に参加

 少し前の話になりますが、新人社員の研修がありました。本来は5月に行われるものが9月に延びて、さらにリモートとなることに。研修は2日間に渡り、ヤクルトの商品を販売する会社と、ヤクルト球団の合同で行われました。販売会社からは新卒を中心とした30名弱と、ヤクルト球団からは36歳の僕、新卒の23歳・営業部のM君の2人が参加しました。

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リモートでもらくらく仕事をこなす筆者 ©三輪正義

 いざ研修が始まると、初対面かつリモートということで、画面のなかでは誰も話そうとしない。しびれを切らした僕は、新卒のM君と組んで“お手本”を見せることに。

 電話応対の練習に志願。長いセリフを話す人と、短い受け答えをする人の二役に分けられるのですが、すかさず僕は「私はMより先輩なんで、短いほうをやります!」と手を挙げました。

「えっ? 普通、先輩のほうが長いほうの役をやるんじゃないですか!?」と講師の方から指摘されましたが、「いやいや、ウチは体育会系なんで、後輩がしんどいことをするのは決まっているんです!」と僕は首を横に振ります。

 講師の方が「Mさんそれでいいですか……?」と困惑気味に尋ねると「ハイ!!」と元気一杯答えるM君。「ささいなコント」でしたが、二十数個の画面の中の顔がほぐれていくのがわかりました。

 調子に乗った36歳の新人は、その後のグループディスカッションでも「みなさん、もっと楽しくやりましょうよ!」と画面の中で緊張気味の若者に呼びかけます。そのせいか、いい雰囲気で進んだ研修も最終日。2日間を総括する「1分間スピーチ」の時間がやってきました。

 僕は、話し方の基本「起承転結」と「緊張と緩和」を意識しつつ、「コロナがなければ、皆さんとヤクルトの工場見学に行けるはずでした。来年は対面で、集まれるならこのメンバーで工場に行きましょう!」と熱く訴えます。すると、あろうことか全員ノーリアクション。「そこ笑うトコですよ!」とパソコンの画面にツッコミを入れたんですが、いつかどこかで見たような空気になってしまいました。

 予想外の結末に唇を噛んでいると、販売会社の若者がそのあとのスピーチで想定外のことを言い出しました。

「実は僕はヤクルトファンですが、昨年まで現役をされていた三輪さんが、僕たちよりずっと年上にもかかわらず、率先してみんなを盛り上げてくれているところに心を打たれました!」

 なぜ、もっと早い段階で言ってくれないのか……その重要な情報を先に参加者の前で言ってくれていれば、あんなことにはならかったのに。しかも、販売会社の若者に気を遣わせたような形になっている。一緒に研修を受けた女子社員の中には、僕のことを「中途採用の元気なおじさん」としか思っていなかった人もいたはずです。会社員としての初研修は、いろいろ勉強させられました。

ドラフトを見ながら広報資料を作り感じたこと

 さて、新人と言えば10月26日の「ドラフト会議」で来年ヤクルトスワローズに迎える新人10選手が指名されました。こう見えても僕も13年前、ドラフト会議で名前を呼ばれた男ですが、今回は広報として、報道陣に配る指名選手の資料をまとめながらも「プロ野球選手とは?」ということについて考えていました。

 2007年の大卒・社会人ドラフト6巡目、最後の最後に名前が呼ばれたのが僕でした。

 山口県の公立高校を出て、ガソリンスタンド会社に就職、軟式野球部に属し、その後、四国アイランドリーグが設立され、香川に入団。松山で秋季キャンプを張っていたヤクルトとの練習試合で関係者の目に留まって、その後いくつかの偶然が重なりスワローズに指名されることになった僕。このへんは文春野球コミッショナーの村瀬秀信さんの著書『ドラフト最下位』(角川書店)に詳しく書かれているので興味のある方は読んでいただきたいのですが、正直言うと僕は「本気でプロを目指していなかった」男でした。いくつかの幸運が重なってプロ野球選手になれただけなんです。

 僕の高校時代の恩師ですら「高校時代の三輪なら、宇宙を何万周しようがプロにはなれない」と言っていたほど。ドラフトの3年前まで軟式野球をやっていたほどです。

 実を言うと、ドラフトの前後の記憶がありません。覚えていることと言えば、指名された瞬間、「プロに行けるわけない」、「指名拒否したら大問題になるかな」などと混乱したこと。仮契約の時に、球団の方にフランス料理をご馳走になったんですが、フォアグラを生まれて初めて食べて、それが美味いのか不味いのか判断がつかなかったことぐらいです。

 そんな僕ですから、プロ入りしても高校、軟式、独立リーグ時代と考えも変わりませんでした。今年のドラフトでも独立リーグ出身の選手が多数NPB入りしますが、僕の頃は数えるほど。今では状況はだいぶ変わりましたが、昔の独立リーグ出身者は契約金も年俸も、高卒や大卒の上位指名と比べれば「すずめの涙」です。生活も独立リーグのときよりは多少良くなったものの、「プロ野球選手になった」という実感も、感慨に耽ることもなく−−−。

 見えていた景色も軟式野球の時とあまり変わりません。神宮のグラウンドに立つと「あぁ、ヤクルトの球団旗がなびいているなぁ」と思う程度で、自分がやる野球には変わりはないと。プロ野球なんだから全力で走らなくてもいい、とは一度も考えたことはなかったし、プレーも引退する時まで変わらなかったはずです。