「今じゃそんなのあり得ないな(笑)」
「三浦さんに見てほしいものがあるんです」
筆者はバッグから陽に焼けて茶色がかったスポーツ新聞を取り出した。1997年、ベイスターズが7月13勝5敗、8月20勝6敗の快進撃でヤクルトを一気に追い上げた、奇跡の二か月間。日に日にベイスターズが注目され、連日「横浜」の文字がスポーツ紙の一面を飾ったあの夏の日。いつか何かの機会に当時の選手に会うことがあったら、ずっと応援してきてそれがどれだけ嬉しかったか、強いベイスターズが心の底から誇らしかったかを伝えたかったのだ。
三浦さんは当時23歳、この快進撃の立役者だ。7~8月は6勝負けなし。エース野村弘樹と25歳の川村丈夫、21歳の福盛和男、22歳の戸叶尚とともにローテを回し、ゲームを作っていた。8月20日には完投勝利で首位ヤクルトに4.5ゲーム差に迫り、27日には中日を完封。翌日から横浜高島屋に“めざせ優勝 ガンバレ!! 横浜ベイスターズ”の垂れ幕が飾られた。持参した新聞の一面には若き日の三浦さんの雄姿が躍っている。
「いやー、こんな新聞をよく取ってありましたね。思い出すなあ……。うわ、この日なんか試合後ウチの奥さんに電話でコメント取ってるわ。今じゃそんなのあり得ないな(笑)」
三浦さんはしげしげと紙面を眺め当時を懐かしみ、「
“負ける気がしなかったよね”
三浦さん、僕らもあの時まったく同じ気持ちだったんです。万年Bクラスでも、30何年優勝していなくても、球団名が変わってもいつかはこういう日が来るんだって。あの時の勝つ喜び、少しの差で優勝を逃した悔しさ、そして翌年の最高の瞬間があったから、今でもベイスターズを好きでい続けるんです。そんな事を矢継ぎ早に話したと思う。三浦さんは面倒くさがらず、うんうんと頷きながら聞いてくれた。
「やっぱり97年の悔しさがあって、翌年ああいう形で優勝出来たのは自分の中では特別ですよ」
もう胸がいっぱいだった。「新聞にサインしてもらってもいいですか」。ボールや色紙じゃない。この新聞にサインして貰うことに意味がある。
「おお、喜んで。あ、でもこの時背番号46だわ。46の頃のサインは忘れちゃったなあ……。今のサインでも大丈夫?」
そんな心遣いがありがたかった。チームが負けて落ち込んだ時、仕事や私生活でうまくいかない時、その新聞を取り出しては眺めるようになった。それだけで少し気持ちが前向きになるのを感じられる。
ベイスターズは昨日11月14日、今季最終戦をサヨナラ勝ちで終えた。試合後スタジアムに流れた動画で、A・ラミレス監督はこう語った。
「私たちはかつて“負ける”ことに慣れていた。けれど今は“負ける”ことの悔しさを感じられている」
本当にその通りだと思う。そして付け加えるならば、もうひとつ“最高の勝ち方”を知っているのはこのチームで27年間を過ごした三浦大輔さんその人じゃないだろうか。共同通信の報道によれば、この週明けにも三浦2軍監督の昇格が発表されるという。
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