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2020/11/15

「今じゃそんなのあり得ないな(笑)」

「三浦さんに見てほしいものがあるんです」

 筆者はバッグから陽に焼けて茶色がかったスポーツ新聞を取り出した。1997年、ベイスターズが7月13勝5敗、8月20勝6敗の快進撃でヤクルトを一気に追い上げた、奇跡の二か月間。日に日にベイスターズが注目され、連日「横浜」の文字がスポーツ紙の一面を飾ったあの夏の日。いつか何かの機会に当時の選手に会うことがあったら、ずっと応援してきてそれがどれだけ嬉しかったか、強いベイスターズが心の底から誇らしかったかを伝えたかったのだ。

 三浦さんは当時23歳、この快進撃の立役者だ。7~8月は6勝負けなし。エース野村弘樹と25歳の川村丈夫、21歳の福盛和男、22歳の戸叶尚とともにローテを回し、ゲームを作っていた。8月20日には完投勝利で首位ヤクルトに4.5ゲーム差に迫り、27日には中日を完封。翌日から横浜高島屋に“めざせ優勝 ガンバレ!! 横浜ベイスターズ”の垂れ幕が飾られた。持参した新聞の一面には若き日の三浦さんの雄姿が躍っている。

“三浦完投”“ヤクルト連破4.5差”の文字が躍る1997年8月21日付の日刊スポーツ ©黒田創

「いやー、こんな新聞をよく取ってありましたね。思い出すなあ……。うわ、この日なんか試合後ウチの奥さんに電話でコメント取ってるわ。今じゃそんなのあり得ないな(笑)」

 三浦さんはしげしげと紙面を眺め当時を懐かしみ、「ノムさん大嫌いのリーゼント」の見出しに苦笑いを浮かべた。夢のまた夢だった「優勝」の文字が初めて現実のものとして捉えられるようになったあの頃、筆者と同じくホエールズ、ベイスターズを愛してやまなかった友人と毎日のように横横衣笠インターそばのガストに長居しては新聞を読み込み、ここから何勝何敗で行けばヤクルトを抜けるか真剣に計算し、今後の展開を話し合った。そして忘れないよう新聞の片隅に勝敗のシミュレーションを書き込んだ。そんな一ファンの思いのかけらが残った古びた新聞を、44歳になった三浦さんが読んでくれている。そしてぽつりと、冒頭の言葉を口にしたのだ。

 “負ける気がしなかったよね”

 三浦さん、僕らもあの時まったく同じ気持ちだったんです。万年Bクラスでも、30何年優勝していなくても、球団名が変わってもいつかはこういう日が来るんだって。あの時の勝つ喜び、少しの差で優勝を逃した悔しさ、そして翌年の最高の瞬間があったから、今でもベイスターズを好きでい続けるんです。そんな事を矢継ぎ早に話したと思う。三浦さんは面倒くさがらず、うんうんと頷きながら聞いてくれた。

「やっぱり97年の悔しさがあって、翌年ああいう形で優勝出来たのは自分の中では特別ですよ」

 もう胸がいっぱいだった。「新聞にサインしてもらってもいいですか」。ボールや色紙じゃない。この新聞にサインして貰うことに意味がある。

「おお、喜んで。あ、でもこの時背番号46だわ。46の頃のサインは忘れちゃったなあ……。今のサインでも大丈夫?」

 そんな心遣いがありがたかった。チームが負けて落ち込んだ時、仕事や私生活でうまくいかない時、その新聞を取り出しては眺めるようになった。それだけで少し気持ちが前向きになるのを感じられる。

 ベイスターズは昨日11月14日、今季最終戦をサヨナラ勝ちで終えた。試合後スタジアムに流れた動画で、A・ラミレス監督はこう語った。

「私たちはかつて“負ける”ことに慣れていた。けれど今は“負ける”ことの悔しさを感じられている」

 本当にその通りだと思う。そして付け加えるならば、もうひとつ“最高の勝ち方”を知っているのはこのチームで27年間を過ごした三浦大輔さんその人じゃないだろうか。共同通信の報道によれば、この週明けにも三浦2軍監督の昇格が発表されるという。

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