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「まだやれる、でも……」ファイターズ・浦野博司投手の幸せな去り際

文春野球コラム 日本シリーズ2020

2020/11/24

「引退試合」と聞くと、寂しいと思うと同時に、その選手はなんて幸せなんだろうと思う。毎年、何人もの選手がこの時期にプロ野球のユニフォームを脱ぐ。でも引退試合が行われるのは本当に本当に一握りの選手だ。ファンの前に姿を見せないままに静かに去っていく選手がどれだけいることか。今季、ファイターズで引退セレモニーが行われたのは一人。7年のプロ生活に自ら終止符を打った浦野博司投手だけだ。

浦野博司 ©時事通信社

「ほんと、野球人生が終わったと思ってましたよね」

 骨が壊死、というショッキングな言葉を聞いたのは2017年だった。社会人経験のある浦野投手は即戦力として期待されての入団。2014年のルーキーイヤーから20試合に登板、7勝、完投も1試合あるという大活躍だった。その年のオフにインタビューする機会があって対面した時、1年目を終えたばかりなのに、もう既に落ち着いた雰囲気だったのを覚えている。初年度から結果を出した自信がにじみ出ていた。

 ただ翌年からはけがに悩まされ、2016年はほぼすべての時間を肩のリハビリに費やすことになった。チームが日本一になったあの年だ。その肩の症状は回復後に公表された。壊死、という言葉はそこで出てくる。関節衝突と言って、骨と骨がこすれあうような症状、インピンジメント症候群とも呼ばれるそうだ。長く同じフォームで投げ続けたこと、それが肩に負担をかけていたことが原因だった。それによって右肩の骨が壊死。あの年の浦野投手は、時間とリハビリに向き合う自分自身との闘いだった。

 ずいぶん後になって、この時の話を直接聞いた。浦野投手はちょっと遠くを見つめるような表情を見せてから視線を落とし手のひらを見て、「ほんと、野球人生が終わったと思ってましたよね」と呟くように話した。当時、リアルタイムで詳しくマスコミに症状が公表されなかったのは浦野投手のメンタル面への配慮だったのかもしれないと、目の前の様子を見て思ったのを覚えている。

たった二人だけ 中田翔との同級生の絆

 復活は2017年5月5日のバファローズ戦、京セラドームの先発登板、695日ぶりの勝利だった。この日の中田選手の活躍が印象的だった。試合前からマスコミに「浦野には出来るだけ楽に投げさせてあげたい」と話していたそうだ。中田選手と浦野投手は、チームでは、もうたった二人だけの1989年・平成元年生まれの同級生。浦野投手は高卒の中田選手からは6年遅れでのファイターズ入団だが、同級生の絆は強い。ルーキーの頃から浦野投手が投げる日には必ずと言っていいほど中田選手の援護があって、ファンはこの二人の関係性にほほを緩めた。

 そして遂にその日が来る。今年、10月31日・札幌ドーム、浦野投手最後のマウンド、ファーストからは同級生の中田選手が見守っていた。復活勝利と同じ、この試合もバファローズ戦。相手ベンチには今年監督代行を務めた中嶋聡さんの姿もあって感慨深かった。中嶋さんもファイターズ時代、多くの時間を浦野投手と過ごしている。

 打席には松井佑介選手。真剣勝負だ。ストライク、ファール、そして最後は浦野投手らしいフォークを松井選手が空振り、三球三振だった。後ろから見ていた中田選手は、「今日のピッチングならまだやれると思ったけど、本人が決めたことなので」と話した。

 感極まり泣きながらのマウンド、三振の後、チームメイトが作ってくれた花道でも浦野投手は涙で誰の顔もまともに見られない。帽子を目深にかぶり、早足でベンチ裏に消えていった。私はモニターでその後ろ姿を追いながら、ああ、これで浦野投手を浦野投手と呼べるのは最後かと寂しくなって、音にならない声で何回か呟いたりしていた。