同級生・松永からの電話
緒方は80年4月から福岡市にある女子短期大学へと進学。その年の夏、自宅にいた彼女は1本の電話を受けた。
「在学中に君から借りていた50円を返したいんです」
M高校の同級生だったと語る松永からの電話だった。緒方にはカネを貸した覚えはなかったし、事実でもない。また在学中にふたりが会話を交わしたこともほとんどなかった。それなのに、なぜこんな内容の電話を松永はかけたのか。後の公判などでも明らかにはされていないが、当時、福岡県警担当記者は語っている。
「捜査員によれば、松永は、後に結婚するジュンコさんと同じ名前の緒方に対して、軽い遊びのつもりで電話をかけたようです。結局、ふたりは会いますが、さすがに緒方も用心していたようで、なにも起きませんでした。次に松永が電話をかけたのはそれから1年後の81年。その段階で、松永はワールドを経営していましたから、社会人風を吹かせて、会社のことなどで大風呂敷を広げたようです。これで緒方は、最初に会ったときの警戒心が薄れ、好印象を抱いています」
旧家の窮屈さに反発心を抱いていた節がある
翌82年4月になると、緒方は久留米市にある幼稚園で保母として働くようになった。それから半年後の10月、松永と緒方の関係は大きく動く。ふたたび松永からの誘いがあり、肉体関係を持ったのだ。後の公判で緒方は、松永が初めてのキスの相手であり、初体験はそのときだったと証言している。
すでに記している通り、当時の松永は妻帯者であり、妻・ジュンコさんは翌年に出産を控えていた。また、緒方も松永が妻帯者であることを知っていた。真面目であるとの印象が強い彼女に、なにが起きたのかと感じさせる行動だが、そこには幾つかの伏線があった。
当時、緒方は実家で祖父母、両親、妹との6人暮らしだった。父の孝さんは厳格なことで知られ、緒方の友人が緒方家に来ているときに、勉強をしないのなら帰れと怒られたというエピソードもある。
緒方家に生まれたのはふたりの娘だけで、男の跡取りはいなかった。そのため、いずれは長女の緒方が婿養子を取り、緒方家を継ぐのが当然であるということになっていた。それを含めた旧家の窮屈さに、彼女は反発心を抱いていた節があるのだ。該当する時期は若干遡るが、前述の松永弁護団による冒頭陳述のなかに、そうした記述がある。
〈被告人緒方は、短大在籍当時、被告人松永に対し「休みの日に家におると家の手伝いをせんといかんから外に出るためにアルバイトをしている。」などと言っており、旧来の農家であった両親ら実家について、いやがって反発している面も見せていた。〉
こうした状況から緒方が、いずれ親が決めた相手と結婚しなければならないのだから、その前に自分が選んだ相手と恋愛がしたい、と考えたとしても不思議はない。