起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第36回)。
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22歳の“ジュンコ”さんと結婚
1981年5月に福岡県柳川市で、布団訪問販売会社「ワールド」を設立した松永太だが、それから間もなく、私生活でも大きな出来事があった。
翌82年1月25日に、2歳年上の女性と結婚したのだ。彼女の名前も緒方純子と同じ“ジュンコ(本名は漢字)”といい、M高校の先輩だった。婚姻時、松永は20歳で、ジュンコさんは22歳。ふたりはその3年前から交際しており、出会ったときに松永は高校生で、ジュンコさんは社会人だった。松永から彼女に積極的なアプローチをしたことで交際するようになり、結婚に至ったという。なお、福岡地裁小倉支部で開かれた公判(以下同)の松永弁護団による冒頭陳述では、その経緯について、以下の説明がされている。
〈被告人松永の人柄を全体的にはやさしいと感じたことや、被告人松永の熱意にほだされ、被告人松永の求婚を承諾したことから、被告人松永は、間もなく同女と婚姻した〉
ジュンコさんは結婚から約1年後の83年2月に松永との長男を出産するのだが、じつは松永は、妻のジュンコさんが妊娠中だった82年10月頃に、緒方と初めて肉体関係を持ち、その後も関係が続いていく。
松永と緒方が親密になったいきさつを説明する前に、まずは緒方のそれまでの人生を振り返っておきたい。
「田舎の素朴な子という感じ」
緒方純子は1962年2月25日、福岡県久留米市で農業を営む父・孝さん(仮名)と母・和美さん(仮名)の長女として生まれた。やがて久留米市内の中学校を卒業後、松永と同じM高校に入学している。
兼業農家だった緒方家の田畑は約2ヘクタールあり、大型コンバインも所有していた。緒方と小学校から高校まで同級生だったF子さんは説明する。
「純子の両親はしっかりしていて、地元ではちょっとした土地持ちとして知られていました。お父さんは鋼鉄の線材を作るメーカーに勤めてましたけど、田んぼだけでも食べていけるほどの広さです。純子本人は田舎の素朴な子という感じ。ちょっと気の強いところはありましたけど、素直ないい子でした」
また、緒方と高校の同級生だったGさんは次のように振り返る。
「どちらかというと地味で、おとなしめの子でした。ただ、成績は良かった印象があり、高校時代は進学クラスに入っていました」