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「本は読むものではなく、引くものである」 

 大宅は生前、四角四面なたいそうな全集ものなどには目もくれず、収集対象のほとんどは、日々読み捨てられていく雑誌だった。娘の大宅映子は、かつて自宅に来たことのある人から、大宅が『アサヒ芸能』のような週刊誌を赤鉛筆で線を引きながら読んでいるのを見て、目が点になったと、思い出話を聞かされたという(※6)。

「本は読むものではなく、引くものである」が持論だった大宅は、生前より蔵書を分類して書庫に収め、「雑草文庫」と称して知人に開放していた。遺言にも、文庫の本はマスコミ界が共有して、みんなが利用できるものにしてほしいとの一項目があった。

多くの雑誌を収めた雑草文庫 ©文藝春秋

 故人の遺志をどう実現するか、つきあいのあったマスコミ関係者たちが話し合うなかで、東京・駒場の日本近代文学館に買い取ってもらおうとの意見も出た。しかし、多くの者が反対する。最大の理由は、文庫独特の分類法がめちゃくちゃになる、というものだった(※7)。たしかに大宅文庫の件名索引の項目には、「政治・その他」「犯罪・事件」などと並んで、「奇人変人」「おんな」といった大宅ならではと思わせるものがある。

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 筆者も大宅文庫には日頃からお世話になっているが(賛助会員になるとネットから所蔵雑誌の記事が検索できる)、さまざまなキーワードから雑誌記事が検索できるのは、大宅の分類法がベースにあってこそだろう。

1964年の雑草文庫の様子 ©文藝春秋

 検索すると出てくる各項目には、記事のタイトルや掲載誌・号数などが示され、場合によっては記事の内容について説明が補足されているものもある。人名検索では、同名異人もきちんと区別されているので、利用者は間違いを避けられる。現在では国立国会図書館の雑誌記事のデータベースも徐々に充実し、かなり検索しやすくなってきたとはいえ、くわしさ、確実さにおいてはまだ大宅文庫にはおよばない。

 地方在住のユーザーとしては、資料のコピーの配送を依頼すると、日を置かずして送ってくれるのもありがたい。このコロナ禍での自粛期間中には、どこでも図書館が軒並み休館するなか、大宅文庫の資料配送サービスだけは続けられた。これに筆者はどれだけ助けられたかわからない。最後にこの場を借りて、あらためて御礼を申し上げたい。

※1 阪本博志『大宅壮一の「戦後」』(人文書院)
※2 大宅壮一『実録・天皇記』(角川新書)
※3 大宅壮一著・大宅映子編著『大宅壮一のことば 「一億総白痴化」を予言した男』(KADOKAWA)
※4 大宅壮一「無思想人宣言」(『大宅壮一・一巻選集 無思想の思想』文藝春秋)※5 『1億人の昭和史 8 日本株式会社の功罪』(毎日新聞社)
※6 「NEWSポストセブン」2017年9月3日配信
※7 大隈秀夫『大宅壮一における人間の研究』(山手書房)