作家の三島由紀夫が死去して、この11月25日で50年を迎える。三島は自衛隊にクーデター決起を呼びかけたのち自決して、社会に衝撃を与えたが、その3日前の1970年11月22日には、評論家・ジャーナリストの大宅壮一が70歳で亡くなっている。

 大宅は生前、大きな事件があるたびに的確に評してみせただけに、11月28日の葬儀では「三島事件について、大宅氏が生きていたらどんな表現で、どう評価しただろう」との声がしきりにささやかれたという(※1)。

大宅壮一 ©文藝春秋

 大宅壮一ノンフィクション賞や、大宅壮一文庫などにその名を残す大宅だが、残念ながら、いまではあまり著作は読まれてはいないのではないか。それでも、『実録・天皇記』(※2)や『炎は流れる』といった作品は電子書籍にもなっていて、いまも入手しやすいし、最近では、短い時評を、彼の三女で評論家の大宅映子の解説をつけてまとめた書籍(※3)も出ている。

ADVERTISEMENT

 それらを読むと、現在の人権感覚やジェンダー観からすると首をひねるような表現もあるとはいえ(もちろん大宅には差別の意図はなかっただろうが)、その後の状況を予見するかのような箇所も少なくない。

テレビを双方向的なメディアととらえた「先見の明」

 代表的な例としては、1958年に書かれた「『一億総評論家』時代」という一文(※3)が挙げられる。

 大宅はその前年に、「一億総白痴化」という言葉で、質が劣り、刺激ばかり過剰になるテレビの悪影響を表現していた。しかし「『一億総評論家』時代」では、テレビには悪い面だけでなく、視聴者が自分でも考え、意見をまとめるチャンスを与えた面もあると評価したのだ。

テレビを見る大宅壮一 ©文藝春秋

 マスコミも新聞や雑誌しかなかった時代には、一方的に押しつける面が強かったが、テレビの登場により、人々はそこで得た情報を、批評的に受け止めるようにもなった。それを大宅は「一億総評論家」と呼んだのである。双方向なメディアとしてテレビをとらえたことに、先見の明を感じる。

 大宅の死後に登場したインターネットは、「一億総評論家」的状況をさらに加速させた。「口コミ」もまた大宅の造語だが、ネットに投稿された一般ユーザーのレビューを参考に商品やサービスを選ぶことも珍しくなくなった現代は、まさに口コミの時代といえる。