――それなら、自分に引き寄せて読んだり、辛い部分は引き離したり、読む側が距離を取りながら読むことが出来ますよね。
野原 デビュー作が不登校の話だったので(『娘が学校に行きません 親子で迷った198日間』)、なるべく明るく描きたいという願望があって。
――『離婚してもいいですか?』『消えたママ友』など、他の作品も重めのテーマですが、読みだしたら一気にページをめくってしまいます。毎回の題材選びも絶妙ですよね。
野原 これは編集さんの企画なんです。最初の頃は編集さんの頭の中にあるものをいかに具現化するか苦心しましたけど、オファーを受けた以上はなんとか返したいと思って。編集さんって皆さんすごいんです。『妻が口を聞いてくれません』の担当さんは小説畑の方なんですけど、いただくメールも小説みたいで、私の言葉足らずなところを毎回補っていただいてます。
フィクション、それともノンフィクション?
――野原さんの作品はフィクションの体裁をとっていますが、コミックエッセイとして売られているじゃないですか。その点についてご自身はどう思っていらっしゃるのかも聞いてみたくて。
野原 実は私もエッセイって自分のことじゃないといけないんじゃないの?と思っていた時期があったんです。それで編集さんに聞いてみたら、「コミックエッセイにはセミフィクションも含まれるし、そういう作品はもうすでにたくさんあるんですよ」と言われて、そうなのかと。定義が曖昧だなとは思いましたけれど、ジャンルが活性化するとそういうことも起きるのかなという受け取り方をしています。
ただ、漫画家やコミックエッセイ作家を名乗るのは違うかなと思っていて。
――と、おっしゃいますと?
野原 昔、マンガを描いていて、そのとき苦労した分、これはマンガなのか? という自分なりの複雑なこだわりがあって。それで、肩書をイラストレーターにしているんです。
――そうだったんですね。ジャンルの定義に関しては、ふわっとさせておいた方がいいと思っている派です。範疇に収まらない作品が絶対に出てくるので。
野原 ただ、自分が体験したことじゃなかったり、自分の気持ちにないことは描けないんです。ママ友にしても、離婚にしても、多少なりとも経験があったわけで。逆に、フィクションだから描けちゃう部分もあるんです。もし実体験だったら、これ以上は描かないとか、友達のことを悪く描けないとかあると思うんですけど、セミフィクションならそこが描ける。