福岡ソフトバンクホークスが4連勝で日本一に輝き、2020年のプロ野球日本シリーズが幕を閉じた。一方、第1戦から巨人が連敗を続けたことで、約30年前の「ある発言」がにわかに注目を集めた。
スポーツジャーナリストの二宮清純氏が、当事者である元近鉄ピッチャーの加藤哲郎氏に真相を直撃した記事を一部抜粋する。
初出:『文藝春秋』2011年11月号「プロ野球 伝説の検証」
猛牛打線vs十二球団一の投手陣
78年の歴史を誇るプロ野球の中で、日本シリーズで3連敗から4連勝を達成したのは3例しかない。1958年の西鉄、86年の西武、そして89年の巨人だ。
89年の大逆転劇が前の二つと趣を異にするのは、ひとりの選手の舌禍がその原因をつくったことである。
「巨人はロッテより弱い」
3連勝直後、そう口にしたと言われるのが近鉄のピッチャー加藤哲郎だ。ちなみにロッテはこの年のパ・リーグ最下位球団。この発言が打ちひしがれていた巨人ナインの心に怒りの火を灯し、死に馬を走らせたというのが定説になっている。これは果たして事実なのか。当事者たちの証言を元に球史に残る大逆転劇を検証してみたい。
巨人対近鉄の日本シリーズは史上初めての顔合わせだった。巨人の監督は藤田元司、近鉄は仰木彬。西鉄が3連敗から4連勝を果たした58年のシリーズ、仰木はセカンドで4勝した全試合にスタメン出場し、V3に貢献した。一方の藤田は先発、リリーフで6試合に登板し、1勝2敗の成績を残した。
シリーズの見どころは巨人の強力投手陣対近鉄の猛牛打線。十二球団随一のチーム防御率(2・56)を誇る巨人投手陣を、ラルフ・ブライアントを中心とする打線がどう攻略するか。それが勝敗のカギを握ると見られていた。
第1戦の舞台は近鉄の本拠地・藤井寺球場。予想どおり近鉄、巨人ともにエースをマウンドに送った。近鉄がこの年、19勝をあげていた阿波野秀幸、一方の巨人は20勝の斎藤雅樹。
初回、近鉄は大石第二朗の先頭打者ホームランで先制する。しかし2回、巨人は岡崎郁の2ランで逆転に成功。4回にも1点を追加し、ゲームを有利に進める。
しかし、6回、近鉄は鈴木貴久の2ランで3対3の同点に追いつくと、7回、新井宏昌のタイムリーヒットで試合をひっくり返した。斎藤はここでマウンドを降りた。対する阿波野はこのゲームをひとりで投げ抜き、近鉄は4対3で先勝した。
第2戦は近鉄・山崎慎太郎、巨人・桑田真澄の先発で始まった。試合が動いたのは6回。巨人・駒田徳広が2死満塁のチャンスで先制の2点タイムリーを放つ。
だが、近鉄も負けてはいない。その裏、2死1、3塁で巨人から移籍した淡口憲治が左中間を破る同点タイムリー二塁打。7回には2死満塁からハーマン・リベラが走者一掃の二塁打を放ち、試合を決めた。6対3で近鉄勝利。
今回の主人公である加藤は6回のピンチで、このシリーズ、初めてマウンドに上がった。先発の山崎が2点を失い、なお1、3塁。バッターは八番ながら勝負強さには定評のある中尾孝義。3球目、加藤はチェンジアップを投じた。このボールは投手コーチの権藤博から教わったもので一見、棒球に映った。しかし、これがミソなのだ。球速はストレートよりやや遅め。ゆえにバッターはタイミングを狂わされる。中尾はショートゴロ。加藤はリリーフの責任を見事に果たした。