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描けなくなった自分にかけられた「いや、君は描け」という言葉

――そんな中、震災をテーマに描こうと決心させたものは何だったのでしょうか?

池田 震災が起きた4日後の3月15日、「バイバイキティ!!!」という、僕を含めた日本人アーティストによる展覧会のオープニングレセプションがニューヨークで行われたんです。もちろん話題は震災のことばかり。そこには、僕が所属しているミヅマアートギャラリーの三潴(みつま)末雄さんもいたので、率直に思い悩んでいたことを伝えたんです。そうしたら、三潴さんは「いや、君は描け」と。

――アーティストとして、描き続けろと。

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池田 「君はアーティストなんだ。震災をきっかけにした何らかの作品を世に発表するべきだ。今でなくとも、もう少し平穏になって、震災というものを冷静に見つめ直す時が来たら、きっと君の作品は人の心に働きかけてくれるはずだから」と。『誕生』制作の日々は、この三潴さんの言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しながらでした。

 

――三潴さん率いるミヅマアートギャラリーといえば、会田誠さん、山口晃さん、天明屋尚さんなど現代美術を牽引するアーティストが多く所属しています。

池田 画家がギャラリーに所属するというのは、芸能人が芸能事務所に所属しているようなものなんです。ですから、僕にとって三潴さんは、画家としての池田学を国内外にアピールしてくれる人でもあり、サポートしてくれる人でもあります。「君は大きい画を描け」と背中を押してくれたのも三潴さんです。僕も大きい画を描いていきたかったので、ありがたかったですね。

画家とギャラリーの出会いはどうやって生まれるのか?

――大きい画って、なかなか支持されないんですか?

池田 支持されないというか、売れにくいんですよ(笑)。画商さんには、みんなが手に取りやすい、飾りやすい小さな作品を描いたほうがいいよってアドバイスしてくださった方もいるんですが、三潴さんは全くその逆でした。

「興亡史」2006年 紙にペン、インク 高橋コレクション蔵 200×200cm

――ギャラリーとアーティストの出会いはどんな風に生まれるものなんですか?

池田 僕の場合は、東京藝大の卒業制作を見てくださった画商さんが最初です。藝大は「卒展」といって、毎年東京都美術館で卒業制作の絵画も工芸もデザインもバーンって全部公開する展覧会をやるんですよ。ここには青田買いみたいな感じで画商さんがよく来るんですけど、これぞという学生には「今度グループ展をうちでやりませんか」といった声がかかるんです。そこで、ありがたいことに僕にも声がかかった。

――画商は新進作家の金銭的なサポートもしてくれるんですか?

池田 いや、それはないですね。むしろ、チャンスを与えてくれることが大きいんです。例えば個展を開くチャンスをくれたり、その個展で画が売れるチャンスをくれたりという。僕らにとっては作品を売ってくれることが何よりありがたい。あとは人と知り合うチャンスをくれる。その後三潴さんと出会うのも、画商さんの人脈があったからです。

――三潴さんが池田さんの個展を観にきて、そこでスカウトされた感じなんですね。

池田 「この人すごいな」と思ったのは、三潴さんが来てから「三潴さんに聞いた」って人が連日のように個展の会場にやってきて人が溢れたことですね。影響力のあるギャラリストというのは、こういう人なんだと実感しました。

「予兆」2008年 紙にペン、インク 株式会社サステイナブル・インベスター蔵 190×340cm