スキーで大怪我したからこそ描けたもの
――池田さんにとってはどんな存在なんですか、三潴さんという人物は?
池田 そうですね……、何と言うか、情熱的で、ストレートな人です。
――『誕生』制作途中で池田さんが怪我をして、右手でペンを持てなくなった時には、ずいぶん叱られたそうですね。ウィスコンシン州のマディソンでスキーをして転倒してしまって……。
池田 はい……。メールでも、電話でも怒られました。もちろん心配してくれた上でのお叱りなんですけど、「何やってんだ、お前!」「右手がダメなら、左手でも描け。それもダメならペンを口にくわえてでも描け!」って。展覧会のスケジュールも決まっていたので、完成を先延ばしにできない事情もありましたし、この時はさすがにヘコみました。
――でも、ご自身の右手がだんだん回復していく様子も、『誕生』に描き込んでいるそうですね。
池田 怪我のし損で終わらせたくなかったというのが正直なところですが、治療中、自分で自分の神経や細胞、身体が再生していくのがわかったんです。作品は震災という大災害を描くと同時に、再生という希望を託したものにしたかったので、怪我をチャンスに変えて、自分が実感している「再生」というものを表現してみたい気持ちも大きかったんです。
日本って「メンテナンス天国」ですよね!
――今、43歳でいらっしゃいますけど、40歳を過ぎて変わったことってありますか?
池田 40歳で次女が生まれて、42歳で三女が生まれたんですけど、生活のリズムは変わりましたよね。独身の時や子供が1人の時は自分の部屋で画も描けたんですけど、今は描けないですね。あと体も確実に変わってきています。目とか肩とか、疲れが溜まりやすくなって……。
――緻密にして大作が多い活動なので、けっこう体力勝負だと思うんですが、何か健康のために気をつけていることはあるんですか?
池田 マッサージとか鍼とか指圧とか、そういうメンテナンスは定期的にやるようにしています。今アメリカに住んでいますけど、日本に帰国するとそういうお店がたくさんあるじゃないですか。「メンテナンス天国だ!」って思います。あと、体を動かすことも大事だなあって思います。意識的にスポーツする時間を作ってやってます。スキーでは痛い目にあったけど、やめられないですね(笑)。
写真=佐藤亘/文藝春秋
いけだ・まなぶ/ 1973年、佐賀県多久市生まれ。2000年、東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。04年からミヅマアートギャラリー所属。13年よりアメリカ・ウィスコンシン州マディソンに滞在。作品に『再生』(01年)、『興亡史』(06年)、『予兆』(08年)、『Gate』(10年)、『誕生』(13-16年)など。
池田学展 The Pen―凝縮の宇宙―
9月27日~10月9日
日本橋高島屋8Fホール
入場時間:10時半~19時まで(19時半閉場、ただし最終日は17時半まで入場、18時閉場)
入場料(税込):一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料