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国民性が大きな要因? 100年前から推奨されていた「時差出勤」が日本で浸透しない理由とは

『サラリーマン生態100年史 ニッポンの社長、社員、職場』より #1

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昭和初期になると東京まで小一時間のエリアも通勤圏に

 しかし戦前にも、県外からの長距離通勤者がいたことがわかります。なかでも多かったのは神奈川県からで、3.5パーセント。埼玉、千葉からの通勤者もいるにはいますが、さすがに全体の1パーセントにも満たない少数派です。

 昭和8年に出版された『文化の大東京』なる東京ガイドには、東京駅までの通勤時間という項目があり、西は浅川(現・高尾)、南は神奈川県横須賀、北は埼玉県大宮、東は千葉県船橋までの路線図が載ってます。

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 浅川から東京までは72分、横須賀から68分、大宮43分、船橋34分。どうやら昭和初期になると、東京まで小一時間かかる地域も通勤圏とみなされるようになってきたようです。

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難色を示された時差出勤

 それでもなんとか通勤地獄を解消できないかと、鉄道会社や学者たちは100年前から知恵を絞ってきました。

 そのうちのひとつが、時差出勤の奨励です。みんなが一斉に同じ時刻に電車に乗るから混む。だったら分散させればいい。だれでも思いつくアイデアだけに、じつは戦前から提唱されていたことは、あまり知られてないかもしれません。

 戦前の鉄道局は大工場や学校に対し、始業・終業時間を他とずらしてもらえないかと、昭和初期から働きかけてました。とはいえなかなか応じてもらえません。戦争に突入した1940年代になってようやく、官庁や企業の協力で一部実施できたことが新聞で報じられてます。非常時でお上が国民の行動を統制しやすくなったからだと考えると、手放しでは喜べませんが。

 戦後も1960年代から時差出勤が盛んに奨励されたのですが、やはり実現は困難でした。会社ごとに始業時間がまちまちだと、取引先との仕事に支障があるというのがおもな理由でしたけど、そんなのいくらでも調整可能なはず。ホントの理由は、日本人が横並びをこよなく愛する国民だというだけのことです。全員揃って朝礼とラジオ体操をやることに執念を燃やす日本人。