このたび引退を表明した岩隈久志の偉大さは、大阪近鉄バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、シアトル・マリナーズと所属した3つのチームでエースの活躍をしたことだ。最後の巨人では登板できなかったが、その21年のプロ野球生活は、見事の一言だと思う。

 とりわけ、2004年の球界再編騒動によって姿を消した近鉄バファローズで活躍したことが印象深い。「とーぶくーも、とぶこーえ、とーぶボール」という球団歌を歌える人は、今、どれくらいいるだろうか?

「色の薄い関西の四男坊」だった近鉄バファローズ

 昭和の時代、関西には阪神タイガース、阪急ブレーブス、南海ホークス、近鉄バファローズと電鉄会社が経営する4つの球団がひしめいていたが、近鉄はその中でも「色の薄い」球団だった。

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最後の日本シリーズとなった2001年の対ヤクルト戦 ©文藝春秋

 吉本興業とともに自他共に許す「大阪、関西の顔」だった阪神、「ええとこの子」が住む「山の手のチーム」阪急、ディープな「なにわあきんどのチーム」南海、これに対し、上本町に本社がある近鉄は辛うじて大阪につま先を入れてはいるものの、近郊都市を走るローカル線という印象が強かった。創設年次も一番後で「関西の四男坊」という印象だった。

 かく言う筆者も、奈良県から大阪市内に近鉄奈良線で通学していたのだが、沿線への愛着はあまりなかった。だから同級生の影響で、小学校低学年から南海ファンになったのだ。

「エースが一人で勝手に投げていた」

 南海ファンにとって近鉄は目障りな存在だった。少し前までテールエンダーだったのに、前阪急監督の西本幸雄が監督に就任してからにわかに強くなったからだ。西本監督は就任当時のバファローズについて

「近鉄と言うチームは、阪急と比べたら大人と子供くらいの差がありました。梨田(昌崇=現・昌孝)や栗橋(茂)、羽田(耕一)など素質のある選手はいましたが、野球を知らなかった。そして鈴木啓示が一人で勝手に投げていたんです」

西本幸雄氏 ©文藝春秋

 と語っているが、バラバラだったチームが西本監督の強力な統率力で優勝争いに顔を出すようになったのだ。