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21世紀最初の年に打ち上げられた「近鉄バファローズ最後の花火」

 元号が平成と変わった翌年、近鉄は大阪府の唯一の球団となったが、人気はさして上がらなかった。野茂英雄の快投が球界をにぎわしたが、5年でMLBに移籍。球団側と移籍をめぐってもめ事が起こった。

MLBでパイオニアとなった野茂英雄 ©文藝春秋

 打線が売り物で「いてまえ打線」と言われ、ラルフ・ブライアント、中村紀洋、タフィー・ローズとホームランバッターは出たが、荒っぽいチームというイメージだった。

「片膝をついてホームラン」など印象的シーンも多い中村紀洋 ©文藝春秋

 1997年に大阪ドーム(現京セラドーム大阪)が開場すると、近鉄はこれを本拠地とする。

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 大阪ドームに移転後のハイライトは、2001年の優勝だろう。この年最終戦となった9月26日のオリックス戦の9回裏に北川博敏が「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定釣銭なしホームラン」を打って優勝を決めたのだ。

2001年の優勝を決めた北川博敏 ©文藝春秋

「釣銭なし」とはその一打できっちり1点勝ち越して勝負を決めるような本塁打のことだ。余りの点がないから「釣銭なし」である。釣銭なしの代打サヨナラ満塁ホームランはプロ野球でこれ以前には1回しかなかった。しかも優勝決定。「日本プロ野球史上最高の一打」とさえいわれたあまりに劇的すぎる一打である。これが近鉄最後の優勝であり、最後の花火となった。

 この2001年に一軍デビューをした岩隈久志が最後のエースに育っていく。2003年、2004年と15勝を挙げ、2004年は最多勝。長身から繰り出す速球は切れ味があった。また若いころから制球力が抜群だった。

 この年に「球界再編騒動」が起こり、大阪近鉄バファローズはオリックス・ブル―ウェーブと合併することとなった。

 分配ドラフトで、岩隈はオリックスに移籍することに決まったが、彼はこれを拒絶し、新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。お公家さんのような風貌だが、気骨のある人だったのだ。

2001年日本シリーズ対ヤクルトの第2戦で登板した岩隈久志 ©文藝春秋

あまりに「らしすぎる」バファローズの現在地

 2007年に近鉄が資本を引き揚げ、球団名こそオリックス・バファローズのままだが、近鉄は球史から完全に消えた。

 近鉄バファローズでプレーした選手は、2020年シーズン開幕時には、巨人の岩隈久志、ヤクルトの近藤一樹、坂口智隆の3人だったが、このオフに岩隈が引退、近藤も戦力外を通告された。残されたのは坂口ただ一人。近鉄バファローズの血脈は風前の灯火だ。

現在はヤクルトでプレーする坂口智隆 ©文藝春秋

 関西のパ・リーグで覇を競った阪急ブレーブス、南海ホークスは、いずれもグループの商業施設に球団の歴史を顕彰するささやかなミュージアムを設けているが、近鉄バファローズにはそうした施設もない。

 その素っ気なさ、愛想のなさも、キャラの薄い近鉄バファローズにはふさわしいと思ってみたりもするのである。