20代に見える鬼である。
若く見るなら18。上に見ても28くらいだろう。
鬼になって何年経っているのかはわからないが、鬼狩りに捕獲されるぐらいだから、さほどの年数は経っていないだろう。鬼になって1、2年ほどだろうか。
となると、彼の生まれは、慶応年間をさかのぼること、およそ20年から30年前となる。
慶応4年の20年前は1848年だから弘化5年(2月に改元あって嘉永元年)生まれ。30年前なら1838年の天保9年生まれとなる。
だいたい天保から弘化ころ、西暦でいえば1830年代から1840年代の生まれではないか、と推測する。
やや大雑把であるが、べつだんそれはかまわない。彼が「人の世」に棲まわっていたのは「慶応年間」までであり、慶応の前の十数年の記憶があるはずだ、ということがわかればいい。
「二度の改元」が意味する長さ
彼は、明治の御一新より前に捕まってしまい、「藤襲山」に隔離された。世の動きは知ることができないのだろう。年号が明治になったことも、遭遇した隊士に聞くしかない。
「年号が変わっている。まただ」と叫んでいるのは、幽閉されたあとに「明治の改元」を知り、いま「大正への改元」を聞いたことを指しているのだとおもわれる。「二度の改元をここで知るとは、何と長い幽閉か」と怒っているのだ。
べつだん不思議のない箇所である。さほどの問題ではない。
ただ「歴史区分とその意識」というポイントから見ると、すこし疑問がわいてくる。
「天保のころに生まれて慶応年間に幽閉された存在」は、はたして大正改元を聞いて、そんなふうにおもえるのだろうか。
それは「平成から令和にかけて生きている人が持っている感覚」ではないだろうか。
そういう疑問である。
明治の前は本当に「江戸時代」?
明治政府はいくつかの日本の習慣を、劇的に変えた。
それ以降に生きる人は、それ以前の習慣がとてもわかりにくくなっている。
いまの元号は令和である。
たとえば大学生と話していて「令和の前は平成ですね、その前は昭和で、大正、明治とさかのぼって、さて、その前は何ですか」と聞くと、かなりの人が「江戸時代」と答える。
そこから安土桃山、室町、鎌倉、平安、奈良とさかのぼっていく。
たぶんこれがいまの日本人のふつうの反応だろう。
日本の歴史をさかのぼると
令和→平成→昭和→大正→明治→江戸→安土桃山→室町→鎌倉→平安→奈良
というふうに捉えている。
まあ、それで問題はない。
ただ、これは少し変な区分である。(おそらく、変だとおもいつつ使っている人も、かなりいるはずだ)。