「明治」は時間、「江戸」は地名
「明治」と「江戸」では、そもそもの意味が違う。
「明治」は元号であり、「江戸」は地名である。
安土・桃山、室町、鎌倉、平安、奈良、飛鳥、すべて地名だ。
ときの中央政権、日本を支配していた権力者が政務を執っていた場所を示している。つまり「地名」で時代を区分している。
いっぽう明治以降の大正、昭和、平成、令和は「元号」である。
これは時間をあらわしている。
昭和→大正→明治とさかのぼったさきが江戸→安土桃山→室町では、概念がずれている。
区分の基準が違っている。
これは、明治以降を「いまに続く現代」として、便宜的に呼称を変えたために起こる「ねじれ」である。
元号で通すなら、昭和、大正、明治のその先は慶応、元治、文久、万延、安政、嘉永となる。
土地名でなら、鎌倉、室町、安土桃山、江戸ときたら、いまはたとえば「東京時代」のはずである。
ただ「平安」「室町」「桃山」はすべて京都政権の名前で、「室町」「桃山」は京都内の細かいエリア名を政権名につけてあるから、「江戸」と「東京」は同じ場所を反復しているとみるなら、変えたほうがいいだろう。
徳川時代は「千代田城」で政務が執り行われていたから1867年以前は「千代田時代」、明治以降はおもに永田町に政権中枢があるから1868年以降は「永田町時代」などというのが考えられる。
大雑把な歴史区分でいうなら、「江戸時代」の次は明治ではなく、「東京時代」とか「永田町時代」となるわけである。
そして自分で言っておきながら悪いんだけど、「永田町時代」と呼ばれる時代に生きてるかとおもうと何か気持ちが萎えてくるので、だからこんな呼称、無理に考えなくてもいいんである。
「江戸時代」はニックネーム
「平安時代」や「江戸時代」は、いまだけ通用するニックネームみたいなものだ。
元治、慶応、明治、大正などは、すべて国が決めている「正式な時間軸の呼称」なので、日本に歴史があるかぎり残る用語である。もちろん当時の人も使っていた。
でも「江戸時代」「鎌倉時代」という呼称は、現代人のための便宜的なもので、何百年かするとなくなってしまう。
大事なのは、そんな呼称は当時の人は使っていない、というところにある。
18世紀の江戸にタイムスリップして「ここは江戸時代か」と聞いても、誰も、そうだとは言ってくれない。だったらまだ「徳川時代」のほうがいい。
「徳川時代か」と聞くと、そんな言い方をするんじゃないとたしなめられながらも、そうだと答えてくれる可能性がある。タイムスリップを気にしながら生きているなんてばかじゃないのといわれると、そのとおりなのだが、ただまあ、そうしていると昔の人の生活や心情をリアルに想像しやすくなる。