イラストレーター・エッセイストとして長年活躍する沢野ひとしさんが、昭和100年・戦後80年を記念して書き下ろした全頁イラスト入りのエッセイ『ジジイの昭和絵日記』(4月23日発売)から、内容を一部抜粋してお届け。学問が好きでドイツに留学したものの、帰国後は大学で思うような活躍が出来ず、アルコールに依存していった亡き兄の思い出が綴られている。
◆◆◆
もともと強くなかった酒の味を覚えて
兄はもともと酒に弱かった。瓶ビールの半分も飲まないうちに手を横に振っていたくらいだ。
それがドイツで強い酒の味を覚えたのか、いつの間にか酒豪になり、兄が懇意にしている駅前の寿司屋でご馳走になった時、日本酒をぐいぐい飲み、追加を何本も頼むのに驚いてしまった。さらに店の主人と延々と「日本の貧困さ」について話すのにはうんざりしてしまった。何となく兄のどこかが崩れてきた感じを受けた。
「オヤッ」と強く思ったのは、毎年の両親の墓参りの時である。家族が集まると、兄だけ顔色が悪く、昔の精彩はまるでなく、足取りもふらついていた。会うたびに身分不相応な高級車に乗ってくるのも気になっていた。
帰りの食事会の時だった。全員が車で来ていたので、酒は常識的に頼まないものだが、兄はなんの躊躇もなく小瓶のビールを手にしていた。兄の嫁さんが来ていなかったので注意する人も横にいなかった。
妹が「車でしょう」と兄を軽蔑するような口調で言うと「平気だよ、昼間はすぐに抜けるから」と訳の分からないことを言った。私は大学の教師でありながら、モラルに欠けた兄に唖然としてしまった。仮に事故でも起こせば職を失うことは確かである。
酒が続くと失敗も多くなる。兄は自宅でいつものように酒を飲み、洗面所で転倒して、首の頸髄を痛めてしまった。可愛がっていた娘の嫁ぎ先の郡山の奥に、骨折や病に効く温泉宿があるというので、大学はしばらく休み、仕事の本とパソコンを車に積んで治療に専念したが、元に戻ることなく、元気に歩けるようにはならなかった。
後年、兄の奥さんから聞かされた話は更に深刻だった。マンションの部屋の掃除に行くと、コンビニ弁当の食べカスと、酒類の瓶が転がり、明らかに昼間から酒を飲んでいた気配が濃厚だったという。
兄の弱った体が心配になり、「一度きちんと診断してもらったら」と電話してから半年を待たず、食道がんの疑いが濃厚となった。それまでしきりに「喉が痛い」とうがい薬を使っていたが、一向に具合が良くならず、兄も「もしかしたら」と不安に怯え、ついに病院に行ったのだ。おそらくその頃の数年というもの、アルコール依存症であったはずだ。奥さんが何度もお酒のことを注意しても「オレは平気」と全く耳を貸さず、最後は決まって修羅場になったという。