入院中の兄を見舞いに行くと、ベッドに横たわっている兄の顔が、亡くなった父にそっくりになっていて驚愕した。何だか確実に死に近づいている気配を感じた。

 そして半年の治療も虚しく、12月の寒い朝に亡くなってしまった。お葬式の時に祭壇に飾られた、山をバックに笑っている兄の写真を見た途端思わず号泣した。屈託なく眩しそうにして笑っている本来の兄の姿だった。通夜の日は涙が涸れるほど泣き崩れた。

 斎場の帰りの坂道を妻と歩きながら「惜しいな、惜しいな」と何度も繰り返していた。

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親しい友たちが高原の風になっていった

 兄が鬼籍に入ったのは、私が58歳の時で、とっくに昭和は終わり、2003(平成15)年になっていた。だが今更ながら「昭和は終わった。兄と一緒の昭和は終わった」という言葉が何度も頭の中でぐるぐる回っていた。

 私は長い間山歩きをしてきたが、一番好きな山は八ヶ岳の峰々だ。とりわけ野辺山高原から見た裾野を伸ばした山の姿に見惚れる。

 ある時耳にした「千の風になって」(作詞:不詳 日本語詞・作曲:新井満)というテノール歌手、秋川雅史が歌う曲が、歳と共に身に沁みて聞こえるようになった。

 この曲を初めて聴いた時は不思議な気持ちに陥った。すでに亡くなった人が、まだ存命している人に「私のお墓の前で泣かないでください」といい、「そこに私はいません」「千の風になってあの大きな空を吹きわたっています」と歌う。身内の死はいつまでも身に応えるものだ。ふとした時に思い出し涙が出る。でもこの曲を聴いてからはいくらか楽な気持ちになってきた。

 

 晴れ渡った八ヶ岳高原を歩く時、「風」を感じる。風は目に見えず、手で触ることができない。だが「千の風になって」を耳にしてから、風が見えるようになった。

 親しい友たちが高原を千の風になって流れていくのをはっきりと認識できるようになった。透明な薄いセロハンのような風が山から次々に流れてくるのだ。

「あっ今の風は兄が笑っているな」「ああ、あの風は穂高で亡くなった彼だ」「あのふんわりした微笑む風は、若くして亡くなった彼女だ」

 唄はさらに「秋には光になって畑にふりそそぐ」「冬はダイヤのようにきらめく雪になる」と歌う。

 小さな声で口ずさむと本当に亡くなった人に会える。あの頃の兄の元気な声が聞こえる。涙は少し出るが自分が生きている実感も感じる。

 昭和の時代から、高原には千の風が爽やかに流れていたのだ。

ジジイの昭和絵日記

沢野 ひとし

文藝春秋

2025年4月23日 発売

最初から記事を読む 70年代の新宿は眩しくて暗かった