漫才頂上決定戦「M-1グランプリ」、真のコント王決定戦「キングオブコント」、最近では女芸人No.1決定戦「THE W」…お笑いの賞レースをきっかけにテレビ出演のチャンスをつかみ、いつの間にかお茶の間の人気者になっている芸人は多い。

 それらの賞レースは、芸人たちにとって、思い切りネタを披露できる機会であるのと同時に、ブレイクのチャンスでもあるのだ。ましてその頂点に立とうものなら、なおさらそのチャンスは広がる…はずなのだが。残念ながら賞レースで優勝したすべての芸人がテレビでブレイクできるというわけではない。

 では、そこには一体どんな違いがあるのだろうか? かつてキングオブコントという大レースで頂点に立ったコンビ・かもめんたるに話を聞いた。(全2回の1回目/2回目を読む)

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「賞レースがある意味でテレビに出るためのステップであるのは事実で、そのつもりで参加していましたから。若手にとってはああいう舞台があるのはありがたいなと思います」

 こう話すのは、2013年のキングオブコントで第6代目のキングに輝いた、かもめんたるの岩崎う大だ。この年、2回目の決勝進出で、かもめんたるは出場2988組の頂点に立った。

かもめんたる

「その時は、“キングオブコントで優勝すれば一生食っていける”って言われていたんですよね。その前年のキングオブコントは3位だったんですけど、正直状況が全然、変わらなくて、『厳しい世の中だな』と思ったんですよ。でも、さすがに優勝したら変わった部分は大きかったですね。ただ、実際にはそんなに甘い世界ではなかったけど…」(岩崎)

 事実、瞬間風速的にテレビや営業の仕事が増え「1年間は経済的に助かった」という。

 だが、その後、かもめんたるの露出の機会はじわりじわりと減った。一言でいえば、大きなチャンスを手にしながらも、ブレイクしきることができなかった。

 

かもめんたる結成の背景にあった「劇団」の存在

 かもめんたるは、岩崎と槙尾ユウスケのお笑いコンビだ。

 2人は、早稲田大学在学時に、お笑いサークルWAGE(わげ)で出会った。お笑いイベントへの出演をきっかけに、5人組の「コントグループWAGE」として2001年にプロデビュー。ちなみにこの時のメンバーには、のちに大ブレイクを果たす小島よしおもいた。

 2005年にWAGEを解散したのち、岩崎はピン芸人として活動。槙尾はラジオのリポーターなどをやりつつ、役者を目指した。

 

「そもそも僕は芸人に向いていないと思っていたし、もう芸人はいいかなぁと思っていたんです」

 そう語る槙尾は、実はこの時は芸人から足を洗うつもりだった。

 再び、岩崎と槙尾がコンビを組んだのも、お笑いコンビとしてではなく、二人芝居の演劇ユニット「劇団イワサキマキヲ」としての再出発だった。