「駄菓子」を思い浮かべると、誰しも1つや2つは少年時代の懐かしい記憶が蘇ってくるのではないだろうか。

 学校を終えてランドセルを放り投げ、50円玉を握りしめて走ったあの日。遠足の前日の買い出し、おばあちゃんにもらったおまけ、景品のシール集め、ビー玉が弾けるラムネの音色……。

 かつての原風景は今や、街から失われつつある。そんな時代の移り変わりを象徴するのが、昭和中期に活況を呈した日暮里駅の駄菓子問屋街だ。(全2回の1回目/後編を読む)

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駄菓子問屋「大屋商店」の2代目店主、大屋律子さん

タワーマンションにある「大屋商店」

 駅の東口を出ると、真正面にタワーマンションがそびえる。エスカレーターで2階へ上がり、道なりに進むと、飲食店が並ぶ一角に色とりどりの駄菓子が山と積まれている。うまい棒、麩菓子、ソースせんべい、串刺しのイカ、ピースラムネ、あんこ玉、チロルチョコ……。46平米のワンルームに、昔ながらの駄菓子が詰まった箱や袋が棚に敷き詰められ、天井近くまで積み上がっている。その数約200種類に上る。

 問屋の屋号は「大屋商店」。

 上野のアメ横、錦糸町の駄菓子問屋街と並び、かつては長屋に約160軒がひしめいた日暮里の問屋街も、今ではその跡形もなくなり、この1店舗しか残っていない。少子化やコンビニの普及、街の再開発に伴って徐々に減っていき、4年前に現在の形になった。近代的なタワーマンションに駄菓子問屋が入居せざるを得ないのも、ある意味で現代性を示していると言えよう。

日暮里駅東口を出た真正面にそびえるタワマン。この2階のテナントに大屋商店が入っている

 大屋商店を従兄らと切り盛りするのは、店主の大屋律子さん(78)だ。

うまい棒、ポテトフライ、きなこ棒……

「駄菓子は懐かしいよね」が口癖の、人懐っこい名物おばあちゃんで、テレビや新聞などメディアに引っ張りだこである。新型コロナウイルスの感染拡大にもかかわらず、これまで1日も休まず営業を続けてきたという。

「休もうと思ったけど、休まないでここまできたよ。売り上げはガタ落ちだけどいいじゃん、コロナにならなかっただけ」

 そんな肝っ玉ぶりを見せる律子さんは、駄菓子を語り出したら止まらない。

「これは糸引き飴。駄菓子屋で1回10円だ。引っ張って、下から抜くの。昔からあるよ、懐かしいよね」

「それからこのピースラムネ。大人がたくさん買いにくるの。これはあんずだよ。あんずなんて昭和何年だろうね? これはあんこ玉だ。昭和の歴史の象徴。絶対にこれはうまい! あんたお坊ちゃんで育ったから食べたことないだろう?」

 そう言って律子さんは次から次へと駄菓子が入った箱を商品棚から取り出し、中身を見せてくれる。

懐かしい駄菓子の定番とも言われ、人気第3位の「きなこ棒」

 問屋のため、ばら売りは基本的にやっていない。不動の人気は何と言っても「うまい棒」。そのほか、「ポテトフライ」やきな粉がまぶせられた「きなこ棒」も売れ筋だ。今風の駄菓子を尋ねてみると、口の中に噴霧する「スプレー飴」や口の中でパチパチ弾けるキャンディーを紹介してくれた。コロナ禍の今年は、リモート飲み会が流行ったため、串に刺したイカの売れ行きが好調だという。

「私は駄菓子で育ったからねえ。懐かしくて美味しいんだよ。子供の時にお金がなくて買えなかった人が、社会人になってまとめ買いするためにここに来る。だから私も元気な間は店に立つよ」