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「不動の人気駄菓子は…」たった一軒だけ残った日暮里の問屋「大屋商店」はいま

街から駄菓子屋が消えていく #1

2020/12/12
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 コンビニが日本に登場したのは1970年代半ばだ。以降、80年代にかけて急速に普及した。83年には、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」が茶の間を賑わせ、注文が殺到して生産が追いつかないほど爆発的な人気を博した。その6年後に消費税3%が導入。「子供からお金を取れない」と反発する駄菓子屋が相次いで話題になった。

 バブル崩壊前の80年代はまさしく、駄菓子屋にとって転換期となったのである。

タワマンに移る前の大屋商店など、昔の写真がレジの壁に貼り付けられている

「すんごい駄菓子屋!」という驚きの声が

 大屋商店には現在、駄菓子屋の店主や夏祭り、秋祭りのイベント主催者などのほか、一般の買い物客も足を運ぶ。その量に思わず「すんごい駄菓子屋!」と驚きの声が、行き交う人々から漏れ聞こえる。

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 同じビルに入居する塾の経営者の男性(57)は、毎月1回のペースで駄菓子の買い出しに来ている。

「小学校時代の友人と月1回会って、飲み会をやっているんです。そういう時に、ここに売っている駄菓子を持っていくと、『こんなのあったねえ』と話のネタになるんです。集まる居酒屋も同級生がやっているので、持ち込みも緩く、リクエストがあるとソースせんべいとか買っていきますね」

駄菓子が詰め込まれた箱や袋が天井まで積み上がった店内

「子供にとって生活に根差した算数」

 話は子供の頃の思い出にも及んだ。

「僕たちは小さい頃、50円玉を握りしめて、どのお菓子を買うのか必死に考えたんです。それも生活に根差した算数だったような気がするんです。5円のお菓子をたくさん買ったり、一点豪華主義の子供がいたり、算数が苦手でもそういう時だけ計算が速い子供がいたり。そういう必死感の中に、お店のおばちゃんとコミュニケーションを取り、飴をおまけしてもらったりしたんです。あれが楽しかった。でも今の子供はスイカでピッとやれば、何でも買えちゃいますからね」

「私も元気な間は店に立つよ」と律子さん。毎日自宅から歩いて店まで通っているという

 板橋区から足を運んだ清掃業者の男性(60)も、月1回のペースで来ると言い、会社の同僚たちのために糸引き飴やトンカツソースなど2600円分を購入した。

「僕が小さい時に通っていた駄菓子屋は、公園の中にぽつんと建っていました。砂遊びをするために、よくそこでビー玉を買った記憶があります。当時のお小遣いは20円ですよ。100円ちょうだいなんて言ったら『何言ってんだ!』と叩かれるような時代です。もうその公園は行ってないけど、あの駄菓子屋はたぶんないんだろうな……」