1980年代半ばに沸き起こり、平成に入って崩壊、その後の失われた30年の元凶となった日本経済のバブル。その象徴が、札束と腕力で土地を買い上げ、テナントを立ち退かせる「地上げ屋」だった。

 87年1月、地上げ屋として名が知られ始めた本間邦治(46歳)が失踪した。

 夕方、麻布十番の料亭で会食し、その後行方が分からなくなった。店を出る時、「これから銀座のクラブに行く。気が向いたら後から来てくれ」と会食相手に言い残していた。

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80年代半ばから急成長した本間の会社

 本間は中央大を中退して父親の不動産業を手伝うが、立ち行かなくなり、一時はタンクローリーの運転手をした。その後、不動産会社数社を経て30歳の時に本間企画を立ち上げたが、10年以上鳴かず飛ばずだった。

 80年代半ばから急成長するのは、生命保険会社系の不動産会社と組み、潤沢な地上げ資金が融資されるようになったからだ。その金を原資に、神楽坂、六本木、根津…と地上げに成功し、本間企画に融資された額は100億円を超えた。

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 160センチの小柄、せっかちで神経質。社用車に自動車電話を設置し、1時間ごとに会社に電話を入れて報告を受け、指示を出した。縁起を担ぐ人でもあり、姓名判断で名を変え、「土地の神様」を祀っていると聞いて以来、大きな取引の前になると、朝一番の新幹線で猿田彦神社(三重県伊勢市)へ行って参拝するようになった。

大事にしていた生命保険会社系の不動産会社とのパイプ

 生保・銀行などが新宿の雑居ビルを事務所にしたしがない不動産業者に100億円以上融資した状況が、地価高騰を生んだバブルを物語る。85年、大蔵省(現・財務省)はこれを問題視して金融機関に不動産向け融資の自粛を求めたが、通じなかった。翌86年、不動産向けの新規融資が3カ月間で2兆円を超えたと騒がれた。

 本間は社員の誰が見ても尊大になったという。86年末、赤坂のキャバレーを借り切って200人を招いた忘年会を開催し、時代劇俳優らも出席した。銀座のクラブのスポンサーになったと囁かれたが、酒に溺れた父親を見て育ち、本人はブランデーを2、3杯飲む程度だった。生命保険会社系の不動産会社とのパイプは命綱であり、社長に専用車を差し出し、海外旅行に誘った。