指揮系統を持たない左翼の徒党集団がヤクザと正面衝突
ヤクザとの正面対決を回避したかった山岡は収監され、現場は「赤旗か日の丸か」「反天皇制ファシズム」「金町一家解体」の戦闘モード一色に包まれていく。争議団の闘争ではすべて現場にいた者が指揮を執り、他者の指図を受けない。それが現闘時代から続くルールである。したがって山岡の意図が現場で反映されることはあり得ず、そもそも山岡が全体の正式な指揮者であるわけでもない。要するに、指揮系統を持たない左翼の徒党集団が、ヤクザ組織と正面衝突したのである。
テロ対策
警察はひとまず争議団の主要幹部と見なしたメンバーを翌年春まで勾留し、現場から引き離した。しかし、彼らが不在だからといって争議団の活動が鈍ることはない。警察にとっては、やりづらい事態が続いた。
「レーガン(米国大統領)の来日に抗議(11月9日)という関連でいくと、警察はレーガン来日時に暴動が起きることを警戒していたんだね。その予防策で争議団の大量逮捕、大量起訴にもっていったと思う。レーガン警備に人員を取られて、もし山谷で暴動が起きたらまわせる人数がきつくなるからね。当時、警察はそういう問題として見ていたと思う。
俺は海外から帰ってきた直後に逮捕されているんだよね。争議団が大量逮捕された3日後だった。もう一人、山谷の人間がその1ヵ月くらい前に逮捕されているんだけど、二人とも日本赤軍の関係者だと思われたんだろうな。俺は海外渡航歴があるし、帰国しても住所不定でどこにいるかわからないという状態だったしね。だから俺の逮捕はいわゆるテロ対策だったと思う。警察が言うには、俺の逮捕では公安の外事二課を中心として200人以上が動いたらしい。それで俺は身柄を警視庁本庁に持っていかれて、調べは検事が直接来た。だからけっこう危機感を持っていたんじゃないかな。容疑としてはハイジャック関連のようなことをちらつかせていたけど、向こうも表向きにはなにも発表していないし調書にも取られていない。裁判だって資料としてはなにも提出されなかった。ただそういう危機的な認識があったから、山谷の大量起訴は暴動対策であると同時にテロ対策でもあったと思う。公安的な見方だけどね」(キムチ)