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《千年の祟りが再発動?》改修工事が進む大手町「平将門の首塚」の現在 取材した筆者もプチ金縛りに…

2020/12/13

genre : ライフ, 歴史

 ビルが林立する大手町にひっそりとたたずむ将門塚。隠れ家的パワースポットとも祟りスポットとも言われていますが、最近この将門塚(通称「首塚」)の周辺が騒がしいです。

 下手にいじると祟りが発動すると怖れられている首塚で、11月22日に改修工事が始まりました。すると25日に茨城県南部を震源とするM4.3の地震が発生。茨城県には平将門公を祀る神社や胴塚が存在していることから、将門公の祟りでは? と危惧する声も出ています。

ガラス窓の中には小さな社に榊が供えられて、丁寧に祀られていました 筆者撮影

 過去にあった祟りの事例で有名なのは、戦前に旧大蔵省の仮庁舎を建設しようとした時。首塚を更地にして仮庁舎を建設する工事を始めたところ、当時の大蔵大臣が急死して大蔵省官僚や工事関係者が十数人も亡くなってしまいました。

 また、戦後、GHQが首塚を撤去しようとしたところ工事の重機が横転し運転手が死亡。ツタンカーメンの呪いに匹敵する、ファラオ級の霊力に戦慄せずにはいられません。

「史蹟 将門塚保存会」のサイトには「この度、平将門公没後1081年にあたり、1961年の第1次整備工事以来、数えて第6次目の改修工事を実施することになりました」という告知がアップされています。ちなみに第5次整備工事は1976年。この時に発生した大きな事件は、ロッキード事件や、台風17号による被害など。まさかそれらも将門公の霊力ではないと思いますが……。

 1000年以上も祟り続けているとしたら、怒りの念の凄まじさに圧倒されます。その怒りの根本を調べてみると……平安時代中期に生まれた平将門は桓武天皇の血筋を引く家柄ながら、不遇な人生を送っていたようです。

参拝する人があとを絶たない将門塚。令和3年4月末にまたお参りできる日を願って…… 筆者撮影

 15歳で京に上るも父親が早世したため「検非違使」の夢をあきらめて地元に戻ります。すると父の領地が親戚に横領されていた上、妻にしたいと思っていた源護の娘3人とも伯父さんたちに取られてしまっていました。他の女性と結婚したら、今度は源護の息子たちに略奪されそうになります。女性がらみの恨みは大きく、伯父と源護の息子たちを殺害。

 その後逃げ延びた平将門は、富を独占する朝廷に対し税金の不払いで対抗する藤原玄明と結託して兵を起こし、常陸国府軍と戦って圧勝。有名な「平将門の乱」です。勢いづいて関東8カ国を占領し、民衆の味方だとアピールしますが、朝廷は黙っておらず、平将門の討伐を宣言。最終的には平貞盛と藤原秀郷の連合軍によって倒されてしまいます。