「史蹟 将門塚保存会」による「参詣者の皆さまへ」という掲示には「(改修工事は)これからの時代にふさわしい新しい将門塚として皆様に愛されることを目指し実施されるものです」「工事期間は令和2年11月より令和3年4月末を予定しております」「これまでと変わらず神田神社において御祭神・平将門命としてお祀りされておりますので、ご参詣くださいますようお願いいたします」と、サイトと同じ文面が書かれていました。
「新しい将門塚」と、工事は工事でもアップグレードさせる計画なので将門公も怒らないかもしれません。壁の隙間から中をのぞきこむと、地面が鉄板で覆われています。石碑が見当たらない代わりに、左の方に土が盛り上がっていました。禁足地感が漂っています。
その後ろには重機が見えました。GHQの工事では横転したという重機ですが、見たところ安定感を漂わせて駐車されています。壁の一面には祭壇が設けられていて、お花や日本酒が供えられていました。ガラスの向こうにはお札が祀られ、お賽銭を入れる開口部も空いています。次から次へと参拝者が訪れていて、将門公の隠れた人気を実感。5分ほど滞在している間に10人は参拝者が。孫とおじいちゃんなど家族連れもいました。こんなに敬われていたら、祟るお気持ちも失せそうです。この日、首塚のあった場所をのぞきこんだりしたせいか、プチ金縛りに遭いましたが……。
それにしても将門公の首自体はどこにあるのでしょう。その後神田神社を参拝しましたが、首をこちらに移動したような様子は見られず、無事に安置されているのか気になります。境内で「将門煎餅」が売られていて、将門公がこれを許してくださっているのならいろいろと大丈夫な気もしてきます。後日、神田神社に電話して、首は移動されたのか、祟り関係はどうなのか伺ってみたら、「とくに首が埋まっているわけじゃないので、大丈夫ですよ」と淡々としたお答えでした。意外にも、首は埋まっていなかったようです。
ということは祟りパワーはどこから発生しているのでしょう……。きっと祟りを過度に怖れる人々の思念が集まって、負のエネルギーが凝集してしまったのかもしれません。祟りはないと思えば存在しない、と神田神社のスタッフの方のクールな応答に学ばされました。今、将門公が何か言いたいとしたら、何でも俺のせいにするな、ということと、怒りのパワーも覇気もない現代の日本人を心配しているような気がします。今後、工事中に何かが起こったら、それは将門公が現代人を覚醒させようと鼓舞してくださっているのかもしれません。