「つべこべ言うな。できることをやってこい」
「つべこべ言うな。今、日本は国家として意志を示そうとしている。あの船には拉致された日本人がいる可能性が高いんだ。国家はその人を何が何でも取り返そうとしている。だから、我々が行く。国家がその意志を発揮する時、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それは我々だ。その時のために自衛官の生命は存在する。行って、できることをやってこい」
私は、自分の人生観、死生観、職業観を、彼にぶつけた。すがるような目つきだった彼は、目を大きく見開き言った。
「ですよね! そうですよね! わかりました! 行ってきます!」
私は、面食らった。
ええー、「ですよね」だけ? お前、反論しないのか? それでいいのか、本当は納得なんかしてないだろ。30分後には射殺されているか溺死してるんだぞ。それで行っちゃうのか?
「行かせるというのなら、装備品を整えて、訓練をさせてから行かせるべきでしょう。何もしていないのに、行けっておかしいでしょ」
これくらいは言って欲しかった。その議論があれば、彼が納得して行くことはなくても、彼も私も救われる気がしたからだ。いまさら遅かったが、反論をしてくるものだと安心して持論をぶつけたことを後悔した。
『少年マガジン』を胴体につけた隊員たち
食堂に再集合してきた立入検査隊員の表情は一変していた。胴体には防弾チョッキのつもりか、『少年マガジン』がガムテープでぐるぐる巻きにしてあり、そんな滑稽な姿の彼らだったが笑えるどころではなかった。
むしろ彼らは美しかった。10分前とは、まったく別人になっていた。
悲壮感のかけらもなく、清々しく、自信に満ちて、どこか余裕さえ感じさせる。
私は、彼らに見とれてしまっていた。
半世紀以上前に特攻隊で飛び立って行った先輩たちも、きっとこの表情で行ったに違いない。先輩たちがどんな表情で飛び立ったのかに関して何も知らなかったが、私はそんなふうにも感じた。「これが覚悟というものなのか」と納得しつつも、心の奥底では気づいていた。この表情は覚悟だけではないのだ。“わたくし”というものを捨て切った者だけができる表情なのだ。
彼らは、短い時間のうちに出撃を覚悟し、抱いていた希望や夢をあきらめた。そして、最後の最後に残った彼らの願いは、公への奉仕だった。それは育った環境や教育によるものではなく、ごく自然に、自らを滅することに意義を感じ、奉仕を全うしようとする清々しい姿勢だ。