2020年4月中旬から連日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺において中国公船が確認されている。7月2日現在で異例の80日連続を記録するなど、その緊張感はかつてないほどに高まっている。

 そんな中、日本の防衛戦略に警鐘を鳴らした“ドキュメント・ノベル”が注目を集めている。元自衛隊特殊部隊員の伊藤祐靖氏による『邦人奪還』だ。同書は、尖閣諸島・魚釣島の灯台に、中国の特殊工作員が中国国旗を掲げる事件から始まる。北朝鮮で有事が起き、それに日本人が巻き込まれたとき、政府や自衛隊はどう動くのか。「非常にリアルなシミュレーション」と話題の同書より、冒頭部分を特別公開する。

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《プロローグ 海鳴り》

 月の明かりが海面に反射し、水平線へと続く一本の道になっていた。月は、水平線に向かって加速度的にスピードを上げ、遂に接触した。道は一気に月に到達したが、月が沈むにつれ細くなり、月没と同時にその姿を消した。

 瞬きをすることすら忘れてしまいそうなこの光景を見ている者はいない。なぜなら、ここは絶海の無人島、尖閣諸島魚釣島だからである。

 周期的に海鳴りを伴ってやってくる大波は、背丈ほどの岩を豪快に呑み込んでは引いていく。波が引くと、岩の足下には星の明かりが作る僅かな岩の影が映っていた。

 その影の中を、獲物に忍び寄る大型爬虫類に似た動きで進む生き物がいる。音もなく、滑らかに、美しいほど不気味に進んでいる。その生き物は、日本政府より出撃を命ぜられた防衛省初の特殊部隊、海上自衛隊特別警備隊の藤井義貴3佐、黒沼栄一曹長、嵐康弘2曹だった。

©iStock.com

ネットで広まった“合成写真”

「尖閣諸島、魚釣島北方20マイル約37キロ。(注:1マイルは、海上では約1.85キロ)で、100~110隻の中国漁船が操業中。なお、その付近を5隻の中国海警局哨戒船も航行中」

 那覇の第十一管区海上保安本部から霞が関の海上保安庁本庁に報告が入ったのは、20××年8月2日午前9時のことだった。

 この情報は、中国の国旗を揚げた無数の漁船が魚釣島を取り囲んでいる画像と共にネットに流れた。明らかな合成写真であったが、ネトウヨと呼ばれる人々が盛んに拡散したことで、量が質を凌駕するごとく「とうとう偽装した中国の海上民兵が魚釣島を占拠する!」という危機感が広まった。

尖閣諸島 ©AFLO

 当の報告を受けた海上保安庁本庁と報告をした十一管本部は、淡々と業務をこなしていた。それは当然のことで、尖閣諸島の周辺に中国漁船が集まっているのは確かだが、ほとんどの船は魚釣島から20マイル離れた海域に点在しているにすぎなかった。また、それら中国漁船は日中漁業協定の附属書簡で取り決められている規約通りに漁を行い、中国海警局哨戒船も取り決め通りに中国漁船を監視していた。

 日中漁業協定は、1997年11月に時の内閣が締結し、附属する書簡は、当時の外務大臣が駐日大使宛てに出した。そこには、要するに「尖閣諸島周辺は、領海(注:陸岸から12マイル=約22キロ)外であれば、排他的経済水域内であっても、漁業に関する自国の関係法令を適用しない」と記されている。