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 さらに、6月1日から8月1日までは中国が定めた禁漁期であり、それが解けた8月2日に中国漁船が大挙してやって来るのも当然で、違法操業の監視をするために中国海警局の哨戒船がついて来るのも自然な流れであった。これは毎年起きている恒例行事で、海上保安庁は日本の領海内でこれを監視するために、今年も8隻の巡視船を張り付けていた。

 海上保安庁の報告から2週間近くが経過したが、日本領海に近づく中国漁船はなく、日中漁業協定を遵守しながら、強力な集魚灯を使って巻き網漁を行っていた。ネトウヨが広めた噂はガセに終わり、2週間も経つと、ガセを流した者も、乗った者も、何事もなかったかのように振る舞っていた。

©iStock.com

《第1章 尖閣占拠》

 尖閣諸島 魚釣島沖
 20××年8月14日23時52分

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 変化は、日付が8月14日から15日に変わろうとする深夜に起きた。

 中国漁船群を監視するために尖閣諸島周辺海域に来ていたPS型巡視船「みずき」(石垣海上保安部所属)の船橋では、主任航海士の小島義晶二等海上保安正と数名の海上保安官が勤務していた。

「小島さん! 右50度、4.8マイル(約9キロ)、2隻の漁船、動き出しました。領海の方向です」

「了解。あの紅灯だな。2つ視認した。面倒なことにならんといいがな。一応記録をとるぞ。ビデオだ、ビデオ撮影しろ」

「ビデオ撮影開始しました」

「50分後に日本の領海に入ります!」

 小島は、部下への指示が終わるや否や、部屋で休んでいる船長の岩本良一一等海上保安正へ電話をした。

「小島です。右50度、4.8マイルの漁船、針路を日本の領海に向けて動き出しました。録画開始しました。はい、ちょっと嫌な感じです。近づいて注意喚起を行います」

 船橋の保安官が、声を張り上げて報告した。

「小島さん! 中国漁船の針路205度、速力5ノット(時速約9キロ)、このまま行くと50分後に日本の領海に入ります!」

「了解。おもーかーじ。漁船を左10度に見ながら近づく」

著者の伊藤祐靖氏 ©新潮社

 小島からの報告を受けた岩本が、学生時代に柔道で鍛えた大柄な身体を揺らしながら、真っ暗な船橋へ上がってきた。深夜だというのに気温は29度、海水温度は31度もある。気温より熱い海面からの風は、水分をたっぷり含んでいて岩本の首元をじっとりと湿らせた。

「あ、船長。現在、左10度の紅灯が漁船です。50分後に領海に入ります。このまま近づき、300メートルを切ったところで、取り舵をとって同航にします。一旦同航にして、水空き30メートルで追い越します。追い越したところで同速にします」

 潮のついたオークリー製フレームの度付き眼鏡をていねいに拭きながら、岩本が小島の報告に答えた。

「そうか、それでいい。船隊指揮には報告したんだな?」