「海警局からの入れ知恵に決まってる」
「はい、わかりました。……すいません、船長。自分は頭が白くなってしまいました。まさか中国漁船からVHF無線で英語の応答があるとは。それに、尖閣周辺海域は中国の領海だといつも主張しているのに、無害通航権を言ってきました。そこが日本の領海であることを認めたことになりますよね?」
「公船、海警局の哨戒船が言ったとなりゃ、中国政府が認めたことになるけどな。しかし、不自然だ。あの反応は漁船からとは思えない。漁師が無害通航権なんて言葉を使うか? しかも英語でだぞ。海警局からの入れ知恵に決まってる。こっちの体力を消耗させるのが狙いだよ。こんな時間に立入検査をするとなりゃ、寝ている者を起こさなきゃならない。その手には乗らんぞ。おい、ビデオは回しているな」
「大丈夫です。証拠映像は撮ってます」
「あとは、伴走して漁業準備行為の監視だ。やりやがったらしょうがない。直ちに止めて立入検査をする」
2隻の中国漁船は一列で航行しており、その左側30メートルを巡視船が追い越して行った。海上保安官たちは、追い越して行く際に甲板上を注意深く見ていた。漁具が置いてあれば、操業をしていなくても漁業準備行為として無害通航権は認められないからである。
当初は後ろの漁船を注視していたが、追い越した途端に意識は前の漁船に集中していった。それが相手の狙い通りだったとは、「みずき」の誰一人気づくことはなかった。
日本国旗を捨て、中国国旗を揚げる……
後ろの中国漁船の船倉にあるのは、小さな赤い明かりだけだった。
魚の血かぬめりか、それともオイルか他の液体か、シミだらけの木の床に5人の男たちがあぐらをかいて頭を突き合わせていた。
「とにかく潮に乗れ。西から4ノット(時速約7キロ)程度の黒潮がある。これに乗ればフィン・キックなしで釣魚島に着く。潮に乗れなかったら島にはどうやっても到達できない。だから、バディーとはぐれても、慌てる必要はない。釣魚島灯台のライトを常に東に見て潮に乗っていれば、必ず灯台付近に全員集結できる。いいな?」
「はい」
リーダー格の男の話を、他の4人が床を見つめながら聞いていた。
男の声は、夜間戦術行動をする者が用いる独特な出し方だったので響かず、至近距離の者にしか聞こえない。声が通る北京語でさえ、3メートルも離れると音として届かない。
「上陸したら、まず、灯台の日本国旗を捨てる。そして、中国国旗を揚げる。揚げ終わったら山を上がり、標高100メートル付近の水が出る可能性の高い2ヶ所へ行き、掘って水が出て来るかを確認する。出て来れば、さらに掘って水が貯まるように簡単な井戸を作る。場所はここだ」