従来的なアイドルの規範とは相容れにくい私の性質
そして、2010年、私が高校1年生の時に笑顔をマイレージするという意味を持った「スマイレージ」というグループでデビューした。「日本一スカートの短いアイドルグループ」というキャッチフレーズだった。その後、メンバーの卒業や後輩の加入を経験し、14年には「アンジュルム」に改名するなど、グループの体制変化があった。「アンジュルム」になってからは、自立した女性像やメンバーの個性を尊重するグループとして活動した。
その一方で高校1年の春、仕事の時間を間違え、母と暇つぶしに立ち寄った美術館でエドゥアール・マネの絵画に魅せられ、美術館に通うようになり、大学・大学院で美術史を学んだ。現在は、文化を伝え、文化を作りたいと思っている、そんなアイドルだ。グループ卒業後も「アイドル」を名乗るわけを話すと少し長くなるのだけど。
小学生の頃からアイドルとしてあるべき姿を教わり、ステージに立ってきた経験により、自分は見られる存在であることを知った。やがて、美術を通して、多様な世界も知った。専攻した西洋近代絵画と、好きだった現代美術を通して、「近代的、現代的なるもの」への意識は頑丈なものとなっていった。
そうして、20歳前後で、内面化してしまっていたアイドルとしてのあるべき姿や価値とされる規範に疑問を持つようになった。私の性質は、従来的なアイドルの規範とは相容れにくいものであったから、自分の身体を通して不自由を知ることとなった。
黒髪ロングヘアーを求められ
栗色の地毛は幼いころからのお気に入りで、ロングヘアーも好んでいた。しかし、いつの間にか、(主に)仕事の場において、 他者から私のあるべき姿として黒髪ロングヘアー(染めていない髪が全て黒髪とは言えないと思うが、私の栗色の髪は、わかりやすく黒髪のロングヘアーと認識されていた)を求められるようになった。
そのような姿を商品のイメージとして打ち出せば、当然、違和感ないみんなのための私、或いは求められるものを提供して、社会でうまく立ち回れてしまうかのような私に簡単になれてしまった。私の本心は違ったし、うまく立ち回れているわけでもなかった。
好きだった地毛はいつしかそのように用いられ、誰かにとっての理想像、清楚で純粋性を保持しているかのような私に価値を見出されていると感じる瞬間は心地悪いものだった。
※続きは発売中の「週刊文春WOMAN 2021創刊2周年記念号」にて掲載。