昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「あれくらいやらなきゃ売れないんだな」29歳元アイドルが圧倒された“ももクロの背中”

元Tomato n' Pine・小池唯さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2020/12/12

 ももいろクローバーZやスマイレージなど、「攻め」の姿勢を見せるアイドルグループが初期「アイドル戦国時代」を引っ張ったが、そのなかで異色の存在感を見せていたのがTomato n' Pine(以下、トマパイ)だった。

 トマパイは小池唯と奏木純によって09年4月に結成されるも、奏木が脱退し、10年5月から草野日菜子、和田えりかを加えたシーズン2が始動。

 トマパイは「戦わないアイドル」を標榜し、音楽通を唸らせる楽曲と3人のゆるい歌とダンスで、ファンからの喝采を集めた。

 12年12月に惜しまれながらトマパイは散開。中心メンバーの小池は15年から芸能活動をセーブしていたが、20年7月に芸能界復帰を宣言した。小池が語った「戦わないアイドル」の真実とは。(全2回の1回目)

 

◆◆◆

――小池さんは15歳から芸能活動を始めたそうですが、きっかけはあったんでしょうか?

小池 お正月に大宮にあるひいおばあちゃんの家に集まった時、駅の構内で「雑誌モデルをしないか」と声をかけられたんですけど、モデルをやっていたハトコから「だったらウチの事務所に入ったら」と言われたんです。迷ったけど、人見知りが克服できるかもしれないし、マイナスになることはないのかなって。

――それまで芸能界には興味がなかったんですか?

小池 モーニング娘。さんが好きで興味はあったんですけど、恥ずかしくて自分からは言えなかったんです。中学校でも、あまり目立たないように行動してました。女の先輩が怖くて、廊下で一度通り過ぎたと思ったら顔を見に戻ってきたりするから、なるべく下を向いて歩いていたんです(笑)。

――ミスマガジン2008でセミファイナリスト(ベスト16)から選ばれた特別賞であるGyaO賞を獲得してグラビアの仕事が増えますが、撮られることに抵抗感はなかったですか?

小池 フレッシュなイメージで撮られることも多かったし、カメラマンの方も編集の方も私が笑顔になるように楽しませてくれたので、「嫌だな」と思うことはなかったです。美味しそうなご飯が目の前にあっても「お腹が出ちゃうかも」と、気にして食べられなかったのは残念だったけど(笑)。

 

――そして、同じミスマガジンに選ばれた奏木純さんとTomato n' Pineを結成します。

小池 高校1年生のクラスで、私の前の席にいたのが奏木純だったんです。最初はプリントを渡す時に「どうも」と話すくらいだったのが、自然と一緒に行動するようになっていて。誕生日を聞いたら同じ4月4日だし、気づいたら親友になってました。一緒にいるうちに外見も似てきたみたいで、「双子?」と言われることもあったんです。

 2人ともミスマガジンのセミファイナリストまで残って。現場では緊張するからいつも一緒にいたら、『ヤングマガジン』の編集の方が「仲がいいなら」と誌面で2人のカットを使ってくれたんです。その流れで、当時の事務所が音楽会社の系列だったこともあり、他のアイドルと差をつけるためにデュオで歌ってみようとなったんです。